岡ノ谷一夫「言語の起源と脳の進化」を読む

まず私見から この分野は百花斉放の状態となっているので、さまざまな用語をきちっ と定義づけた上で使わなければならない。

「言語」を発生学的に構造化しておく必要があると思う。 爬虫類→鳥類の進化はとりあえず脇においておいた上で、両生類→哺 乳類→霊長類→現生人類→視覚性言語(文字)という流れの中に言語 の発生と進化を見ていくことが必要だ。

1.音を発生し信号とする 
実体:
 これが最初の「言語」の萌芽であろう。昆虫の多くは声ではない 、声帯を使わない音を発生させる。
目的:
 それを他者との伝達の手段とすることにおいて、それは信号と なる。
矛盾:
 それは自己の存在を自ら暴露することであり、「捕まえる=逃げ る」行動の集積としての生命活動からすれば大いなる矛盾である。そこ には、「求愛」などなにがしかの理由が存在しなければならない。

2.声が主要な音声発生装置となる
実体:
 「声」は気道の入口部で、食道との分岐部に当たる。元は嚥下 時の誤嚥を防ぐための蓋なのではないだろうか。それが空気の出し入 れの際に笛のリード様に動くことが発見され、それを鍛えることによって 声が生まれたのだろう。 声は両生類以後のすべての陸生動物に共通する生体機能であり、使用法もほぼ共通する。
目的:
 声は高低、強弱、長短という要素を操ることにより、他の音より もはるかに多くの意味をもたせることができる。しかしそれにふさわしい 使い方は、その必要性が発生するまでは生じない(求愛を除いて)
矛盾:
 優れた伝達媒体を持ったが、食物連鎖の下方にいる限りは宝 の持ち腐れ。むしろ退化する可能性もある。

3.声が信号として多様化する
実体:
 ハード的には変化なし。繰り返しや遠吠え用の長音など使い方 に工夫。
目的:
 おそらく、哺乳類の中でも比較的後期、狼とかハイエナのような 集団狩をするグループが出現するまでは無意味であったろう。周囲一 般に対する発信のみならず、群れの内部に対する対自的発信が分離する。言葉の厳密な意味においてのコミュニケーションということになる。 
矛盾:
 他者一般から集団的自己(群れ)の分離、そこにたんなる信号 にとどまらないニュアンスの発生。

4.さまざまな音声信号の言葉→言語への整序
実体:
 霊長類から猿人→原人への進化。頭頸部の直立により発声器官としての声帯の構造が確立する。 母音と子音の組み合わせにより、ほぼ無限の「言葉」体系が出来上がり 、強力な意志伝達手段となる。 猿人→原人→旧人→サピエンスの経過を通じて脳容量は3倍化してい る。その半分はウェルニッケとブローカ中枢、言語活動のための記憶装置の 増大によると思われる。
目的:
 群れより大きな集団(社会)への適応。信号を送るだけでなく受 け取る側にも同等の知能が求められる。
矛盾:
 教育と強制なしに成り立たない信号系。集団の媒介から、集団 の形成へ。

5.読書・書字言語
実体:
 人間の本質的能力を超えたところに存在する超言語。聴覚性言 語の完成後に、それに付随する形で形成される。 読書・書字能力の有無は脳容量と相関がない。読書・書字能力は聴覚 言語とは違い、ありあわせの脳神経を活用する形で形成される。
目的:
 情報量は格段に多く、記録性に優れる。ただしそれを活用でき るか否かは社会の活動力により決まる。
矛盾:
 視覚性言語は著しい社会的不公平を伴う言語である。多分現在も人類の3分の1は事実上の文盲ではないだろうか。この社会的不公平を取り除く活動なしに視覚性言語の発展はありえない。
しかし今日の世界において視覚性言語こそが科学・技術・経済・思想の発展の原動力であることも疑いない。このように二重の意味において、視覚性言語はすぐれて社会的な言語なのである。

言語の出現を巡る深い断絶
言葉が生まれる前段階として、動物界にも声による信号の授受がある。
しかし音声の組み合わせによって新たな意味を作り出すことはできない。
そこには深い断絶がある。
では、なぜこのような深い断絶が生じたのであろうか。人間はどのようにこの断絶を超えたのだろうか。
その問は次のように答えられなければならない。まず人間は喋れるようになった、だからしゃべるようになった。喋れるようになったから、聞くこともできるようになった。


言語と人工知能
 人工知能(AI)はスーパー文字言語と考えられ、膨大な文字情報を活用できる可能性(第6段階?)を秘めて いる。グーグル検索はその初歩的第一歩であろう。が、その力をどう個性化、 特殊化し、具体的成果として引き出すかは未解決だ。それにグーグル検索には強力さと同時にいかがわしさも感じることがある。



と前置きが長くなった。
本文に入る。と言ってもあまり大したものではない。2007年の出版で、すでに古くなっているということもあるのかもしれない。(「脳研究の最前線」というブルーバックスの一章)

最初の「言葉の定義」というのは、次のように記載されている。

「言葉」の簡単な定義:
言葉は一つのシステムであり、
①単語(象徴機能を持つ記号)を、
②文法(限定された単語の順番)で結合し、
③森羅万象との対応をつける
「言葉」は、人間の言葉以外にありえない。
まぁそんなところでしょう。ただこれは実体論的・構造的観点から見た規定であり、目的論的規定や過程としての言語活動論から見た定義は抜けているので、これだけでは不十分と言わざるを得ません。

鳥のさえずりについて
この点について、岡ノ谷さんは大変面白いことを述べておられる。
私なりに解釈すると、鳥は喋る前に歌った。それには2つの理由がある。
一つは歌う能力を獲得したから歌っていること、歌う余裕ができたから歌うようになったということ。野生の鳥が飼育されて歌うことを強制されると見事に名歌手に変貌するそうだ。野生で厳しい食物連鎖の暮らしの中にあっては、歌の名人になる前に襲われてしまうらしい。
もう一つは、鳥は歌ったりしゃべったりする身体的能力は持っているが、喋ることはできないということだ。
彼が歌い喋る能力を発揮するチャンスは、歌う場面でしかない。上にも書いたとおり直立することで獲得した多彩でニュアンスに富む発声能力は、求愛みたいな場面で「無駄遣い」されるだけであり、とりあえずは無駄なものである。
ところが人間においてはいつの日か、歌う・さえずるという「発声能力」が「発語能力」として利用可能だということが「発見」されたのではないか。
さえずる能力はオバサン方の井戸端会議のためだけでなく、世界を進歩させ暮らしを良くするためにも大変重要なツールになるということが「発見」された。それは長年をっけて進歩したのではなく、ある日突然に発見された。脳神経がそれに対応して発達するのはその後の話である。
それを発見したのは人類のみである。

ピーターセンらの実験
2015年06月13日 「言語活動の4つのモードと脳活動部位」という記事で一枚の画像を転載させていただいた。
言語活動と脳
この写真は別の文献からの転載のようだ。それが岡ノ谷さんの文章でわかった。
岡ノ谷さんによれば、これはピーターセンらの行ったPETを用いた思考実験の絵で、その世界ではかなり古典的なものらしい。ただし出典は記されていない。
画像の読みについては、煩雑になるのでここでは触れない。ぜひ記事を参照いただきたい。