昨日、今日と文章を書く気力が湧いてこない。
とりあえず不正確だが、心覚えとして書いておく。

鳥脳が優れているのはあたりまえ

カラス、とくにハシブトカラスの知能は、鳥類の中でも群を抜いているらしい。
言うなれば人類が霊長類の中でも群を抜いているのと同じだ。

最近わかってきたことだが、鳥というのは「生き残った恐竜」であり、爬虫類の中で頂点を極めた生き物だということだ。

哺乳類→霊長類→人類という系譜は、決して生物進化の本流を歩いてきたわけではない。ジュラ紀の終わりに隕石が落ちて、そのための気候激変により恐竜が絶滅したため、マイナーリーグから呼び戻されたような存在だ。

それはとりあえず置いておいて、鳥というのは生物界の王道を歩み続けてきた存在であって、モノの作り、脳の作りには無理がない。自然の脅威に晒され適応を迫られることに変わりはないが、他の生物種に遠慮する必要はないからだ。端的に言えば追っかける能力は必要だが、逃げ隠れする能力はいらない。

小型化とユニット化

ただ空を飛ぶために、すべての器官が小型・軽量化されなければならなかったから、見かけ上はちゃちに見えるかもしれないが、潜在力は哺乳類よりも上回っていると見るべきだろう。小型カメラといえどもニコンだ、ということだろう。

むしろ人間の側で見なければならないのは、人間にさえ匹敵するほどの脳力をあれだけの重量と容量でどうやって実現できたのかというところだ。

私はそれがユニット化という戦略なのだろうと思う。それに対し人間の脳力強化はモジュール化によって実現されたのだろうと思う。

人間はモジュール化でネットワーク勝負

人間の大脳皮質は前頭前野から鳥距溝に至るまで、基本的にはすべて同一の6層構造からなっている。それにどういう役割を割り振りどう相互連絡していくかは委細面談の世界である。

たしかに汎用性があって融通は効くが、膨大な無駄を生むことも間違いない。コンピュータはテレビやラジオやカメラの役割もこなせるが、それぞれを単体で持ったほうがはるかに能率が良い。パソコンが面倒な理由のほとんどはボタンの使い回しの複雑さに起因している。

人間の脳はそのほとんどが神経線維であり、神経細胞よりも神経線維の発達によって能力を発揮する仕掛けになっている。しかも通信速度を上げるために主要幹線は髄鞘化という舗装工事が施されている。

人間はオギャーと生まれたときから神経細胞そのものは増えていない。むしろ小脳などでは間引きが行われて減っているくらいだ。それにも拘らず脳が容量も重量も増えて、頭蓋骨に納まりきらないくらいまで発達するのは電線が増えるためだ。

これは相当能率の悪い能力アップ戦略なので、それをユニット化して線維性連絡を極力減らせるならば、効率の良い脳になるだろう。それがまさに鳥脳なのだろうと思う。人間の脳が1500グラム、カラスが15グラムとすれば、カラスの脳は人間の100倍の高性能ということになる。

哺乳類の視覚動物化

このような分化・発展の仕方は遺伝子変化を伴わざるを得ないので、相当の年月をかけて実現していくべきものである。そして鳥にはジュラ紀以来、それだけの年月があった。

その間、哺乳類は発達の動きを止め、半ば化石生物化していた。哺乳類の脳が発達したとすれば、それは世を忍び日陰に隠れ住むための能力である。

やがて哺乳類は日の当たる時間に日の当たる場所に出て、樹上に登り身を晒しながら生きるようになった。そのため一度捨てた視力の再獲得が必要となった。必要なことは昼行性視力(色彩をふくめた)、遠近識別(前方視)である。

霊長類と視覚脳の形成

やがて哺乳類から霊長類が分化し、鳥にまさるとも劣らぬ能力を身に着けようとした時、哺乳類固有の能力はなんの役にも立たなかった。しかしそれを捨てることはできなかった。

霊長類は機能を転用したり、大脳皮質を急成長することで補ったりという変則的な発展の途を探るしかなかった。それによって結果的には鳥を上回る視覚脳を実現したのである。

それはこのように電線だらけのブザマな大脳をもたらした。とはいえ、そのやり方で鳥を凌ぐほどの高性能な脳を作り上げたのだから、それをだいじにしなくてはならないのだろう。

大脳の後ろ半分は視覚処理のためにだけ発達した。しかしそれは、聴覚性言語と結びついて読み書き脳力をもたらした。これは鳥脳のとうてい及ぶところではない。

ただしAIの設計思想においては、決して人間脳のアナリーゼにならずに、鳥型脳の構築をモデルとするユニット型デザインを第一選択として考えるべきであろうと思う。