上野原遺跡
こんな遺跡あるとは知らなかった。
鹿児島県霧島市国分上野原というのが発見場所だ。「花は霧島、たばこは国分」という歌の文句そのままである。

キャッチフレーズとしてはなかなか難しいのだけれど、十分にユニークな遺跡だ。
ウィキによると、
1、(発見当時において)日本列島で最古の大規模な定住集落跡
2.「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡。
3.弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかった。

霧島というのでいいところは、始終噴火があるということだ。時代同定がきわめて容易であらゆる事物がほぼ絶対年代で示される。9500年前なんてのが造作もなく出てくる。
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9500年前というのは最後の氷河期が1万5千年前に終わり、温暖化が進み始める時代である。「南だから住めた」時代だったのかもしれない。

その最古層、9500年前のところから竪穴式住居46軒、石蒸調理のための集石遺構が39基、連穴土坑15基、その他の土抗約125基、道の跡2条が確認された。
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連穴土坑というのはシカ・イノシシを燻製にする施設らしい。どちらにしても、東北北海道で9,500年前というとちょっと引いてしまう。

ただ、これだけだと、どうして推定300人の人間がここに定住できたのか、の理由が分からない。縄文人の三本柱狩猟、採集、漁撈の可能性はかなり疑問だ。

当時そのままではないにしても、標高260メートルに住みながら漁撈を営んだとは思えない。鹿児島の丘陵地帯に落葉植物がそれほど茂っていたとも思えない。

こいつはどうしたことだ。

それでネットを探していたら、下記のページに行き着いた。

よくみたら前から時々引っかかっているページだ。
2000.9.16(土)にアップされている。音楽が流れるようになっているのが、何故か懐かしい(今は流れないが…)。
当時としては精一杯頑張ったホームページだ。当時出始めの
ADSLでも相当しんどかっただろうと思う。