本日の赤旗「文芸時評」。
楜沢健さんという人が「乗っ取りの起源を問う」というタイトルで面白い提起をしている。
少し詳しく内容を紹介したい。
今年2018年は明治150年、維新の正統性が今一度問われた年であった。
維新と明治の美化の風習は今も続く。
しかしその本質は正統な国家を横領簒奪した無法な軍事クーデターではなかったのか。
それ以来、道義なき薩長閥に日本は乗っ取られ続けてきた。
征韓論をめぐって下野した西郷が西南戦争を起こし自死するのは、「維新」の矛盾の結果だったのではないか。
翻って考えれば、江戸幕府は大政を奉還し、日本は連合新国家となった。それは国内外に承認された正統な政権であった。
この政権は雄藩の連合であるというその性格、開国推進というその方向を柱としていた。そして隠されたもう一つの性格、天皇中心主義をとらないという特徴を秘めていた。
我々はこの「連合新国家構想」を、その原点に立ち返って考えてみるべきではないか。
ということだ。
この考えの骨子は昨年なくなった葉室麟という小説家の自説によるものだと言う。(別にあえて葉室さんという人を持ち出すまでもないとは思うが…)
たしかに「うーむ」とうならせる議論ではある。ただ正義がいずれにあったかの議論はこれから開始するとして、旧幕府+雄藩連合に正義を行う権力と意志はあったのだろうか。長州戦争と鳥羽伏見で惨敗するようでは烏合の衆・張子の虎と見くびられてもやむを得ない。「力が正義」というのではないが、「色男、金も力もなかりけり」では国の将来を託す訳にはいかない。そんな気もしてしまう。
おそらく当時には「オールジャパン共闘」を望む雰囲気も大いにあったのだろうし、それらを掘り起こす作業も必要なのだろうと思う。少し自分でも探してみたいと思う。
朝、感心して引用した文章を夜になって否定するのもずいぶんいい加減な話だが、明治維新の性格が何も進歩的なものでもなくて、ただの野蛮なクーデターに過ぎなかったという理屈は、やや引かれ者の小唄みたいな感じもしてきた。
あのとき日本にとって必要だったのは、政体の民主制ではなく、近代的軍事力とそれを支える産業力であった。
それは上海を見てきた高杉にも、洋式軍を見よう見まねで作り上げた大村益次郎にも、はっきりと見えていただろう。
この幕藩体制を超えたナショナリズムの高揚、これこそが明治維新という形での権力交代を支えた真の力だろうと思う。
このナショナリズムは、列強の進出という外圧を得て、当時のドイツよりはるかに強力だった。
次に強力な軍事国家の建設という戦略は、絶対主義的政治システム抜きには不可能であった。
パラドキシカルな言い方になるが、一定の民主主義なしには絶対主義は実現し得ない。一方における極端な権力の集中。一方において集中権力のもとでの平等、既得権益の否定が絶対主義、イデオロギー的には「愛国心」を形成する上での絶対条件になる。
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