ブックオフで「伽耶」を知れば日本の古代史がわかる」 (ふたばらいふ新書)という本を買ってきた。
1999年の発行であるが、元の単行本は1995年発行。書下ろしの翻訳となっているので、その1年くらい前のものであろう。

著者は高濬煥という人で、経歴には大学教授を歴任とあるが、どうもパッと来ない大学名が続く。

中身は一言で言えば「トンデモ本」である。こういう本を出すから、韓国の歴史学が信用できなくなるのである。日本ではシロウト談義でもこれよりマシだ。みんな好きでやっている人だから、あくまで実事求是だ。変に民族感情を交えたりはしない。

わたしは、本格的な任那史がないか探しているのだが、もう少し日本語で探るしかなさそうだ。

「伽耶」というのは高氏によれば任那のことである。彼は任那という言葉を一切使わない。
なぜかは書かれていない。そのかわりに「任那日本府のウソ」という刺激的な見出しの説がある。それが「任那が存在しない」ことになってしまうようだ。
一応任那と伽耶の用法についてウィキで調べてみた。

三国志の魏書東夷伝倭人条に狗邪韓国の記載あり。現在の慶尚南道金海市付近との見方で一致。また弁辰諸国条の「弥烏邪馬」が任那の前身とする説あり。

紀元前300年ころ 金海市付近で弥生土器の仕様が増加。

414年 広開土王碑文。400年条の「任那加羅」が史料初見。

438年 『宋書』の438年条に「任那」が見える。「弁辰」の記載はなし。

451年 宋書倭国伝。倭王済が「倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国」の支配を認められる。
秦韓は辰韓12国のうち新羅に属さない諸国、慕韓は馬韓52国のうち百済に属さない国を指す。

478年 倭王武の上表文。「任那・加羅・秦韓・慕韓」が百済・新羅に属さない国々として記載される。

500年ころ 全羅南道に前方後円墳が造設される。百済進出とともに消失。慕韓に一致する地域とされる。

500年ころ この後、日本書紀(おそらく百済本紀からの引用)が質量ともに圧倒的な資料となる。

525年 『梁職貢図』の百済条、百済南方の諸小国を挙げる。任那の記載はない。

532年 金官国が新羅に吸収される。(日本書紀、三国史記にて確認)

562年 任那滅亡。すべて新羅に吸収される。

660年 『翰苑』の新羅条に「任那」の記載あり。「加羅と任那は新羅に滅ばされた」

801年 『通典』の新羅の条に「加羅と任那諸国は新羅に滅ぼされた」との記載あり。

1145年 三国史記が成立。「任那」の記載は本文には見られず。

私も「任那日本府」がずいぶん矛盾した表現だと思っている。日本という呼称はおそらく大和朝廷が発した国書「日いづる国」に基づいているのではないだろうか。7世紀に日本に来た百済の亡命学者が書紀編纂に携わるに及び、便利だからつい使ってしまったのではないかと考えている。
それを否定することが任那を否定(というよりネグレクト)することにはならない。
中国の史書を第一基準とするなら、伽耶という総称はきわめて特殊である。さまざまな史書では圧倒的に加羅・任那である。
ウィキによると、広開土王碑文(414)にある「任那加羅」が史料初見で、537年の南齊書では、「加羅國,三韓種也」と記載。その後の中国史書、『南斉書』、『梁書』などでも「任那加羅」が併記される。清代の『全唐文』に於いてのみ伽耶の表記が見られるという。
こうなると「伽耶」呼称は民族主義的な“意地”によるのではないかと思える。しかし学問は意地でやるものではない。


Korea_375
    韓国教科書の古代朝鮮
任那・加羅、百済、新羅
   日本の教科書の古代朝鮮
著作の最初は
第一部「卑弥呼は伽倻王女、そして神功皇后」
もうたまりません。
次が広開土大王碑文は一部偽造という一文。
1995年時点での韓国の古代史研究水準を示すものなのかもしれないが、それにしてもあまりにもおそまつだ。
この人が韓国古代史研究のトップ水準にある人なのか、その後最近ではこのような根拠抜きの断言は否定されるようになってきているのか、そのへんが知りたいところである。
もう一つ、都合の悪いことは「日帝支配の30年」で資料が失われたという口上だ。具体的に言わないと、それはたんなる逃げ口上にしかならない。