昨夜は、「イラクチョコ募金の会」の勉強会に行ってきました。「しばらくイラク情勢も学んでいないな」と思ったのがきっかけでした。
素晴らしい濃密な勉強会でした。私の長年の友である猫塚医師がガザの緊迫した状況を報告しました。
彼は2日前にガザから帰ったばかりとのこと。
「えっ、それじゃあの爆撃合戦に居合わせたの」
「そうなんだ。近くの放送局がピンポイントで爆撃されて、一晩で瓦礫の山になってしまったんだ」
「それであなた、大丈夫だったの」
「大丈夫だったんだけど、翌日にガザを離脱してきた」
という話でした。
その猫塚医師の報告のあと、会の佐藤真紀事務局長のイラクの話、とくにモスル解放後の小児医療の状況についての説明がありました。こちらの方も予想をはるかに超えた凄惨な状況でした。
私はメモ取るのが苦手なので、もっぱら聞いていましたが、二人のいずれ劣らぬ迫力の発言に、かなり脳ミソが豆腐になりました。
休憩なしの2時間余り、「これは今夜は飲んで忘れるところは忘れて、残ったところを明日書こう」ということにしました。
それでいまデスクに向かっているのですが、どうもまだ情報が星雲状況でまとめられません。

そこでトリビアルな話題から入ることにしました。中身は決してトリビアルではないのですが、ここだけなら切り離してお話になりそうです。

それが6月1日、イスラエル軍に殺されたラザン・アルナジャルさんの話です。
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この話は、すでに世界中に知れ渡っており、知らないのは私だけかもしれませんが、分かる範囲で紹介しておきたいと思います。


まずはニュース報道から紹介します。

3月30日、パレスチナで恒例となっている民衆抗議の運動が始まりました。抗議運動は2ヶ月あまりにわたり続きました。

その最中の5月14日、トランプは米大使館をテルアビブからエルサレムに移転しました。このあと抗議運動は例年になく盛り上がり、これに対抗してイスラエル側の武力弾圧も激しさを増しました。その結果住民の犠牲者が激増することとなりました。

毎日デモが行われた境界近くでは、市民の応急処置に走り回るボランティアが活躍しました。その一人がラザン・アルナジャルさんです。
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ラザンさんは21歳、パレスチナ人看護婦として活動していました。そして、6月1日、白衣の彼女は境界の金網の近くでイスラエル兵に狙撃され、帰らぬ人となったのです。
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             狙撃直後の画像
CNNのニュース動画をみると、明らかにラザルさんは狙い撃ちされています。銃撃される10分前、ラザンさんたちは身分証明書を掲げながら、徐々に前へ進んで行きます。フェンスの近くでは男性が『助けてくれ』と叫んでいました。(CNNがトランプに嫌われる理由がよく分かる)

翌日、ガザ全土でラザンさんの死に抗議するデモが行われました。血でそまった白衣をまとったアルナジャルさんの遺体は、パレスチナの国旗で包まれ、街路を埋め尽くした市民たちに見送られました。

ラザンさんの母親はこう語ります。

私は娘のことが心配だった。でもラザンは怖くないと言った。「自分には助ける義務があり、はっきりと分かるように白衣を着ているから」と。ラザンの唯一の武器は白衣だった。

ラザンは標的にされました。それは無作為な弾丸ではなく意図的な弾丸でした。彼らはラザンが医療者であることを知っていました。
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        血染めの白衣を広げる母親
国連人道問題調整事務所(OCHA)、世界保健機関(WHO)、国連人権高等弁務官事務所は連名で声明を発表しました。
「医療ボランティアの殺害に深い懸念をいだき、医療従事者の保護を要求する」と。
ラザルさんが所属したパレスチナ医療支援協会(PMRS)は「医療者への攻撃は人権法侵害である」と非難しています。
「医療」は戦争行為ではありません。そこに治療や手当てを必要とする人がいれば、治療するのが医療者の使命です。医療施設は保護されなくてはならず、意図的な攻撃の対象にしてはなりません。

実は医療スタッフへの攻撃はラザンさんの殺害にとどまるものではないのです。

3月30日以来、1ヶ月半の間に229人の医療スタッフが負傷、32台の救急車が破壊されています。

これは「医療従事者、負傷者や病気の搬送、治療」は保護されなければならないと定めたジュネーブ条約第24条に触れる戦争犯罪です。


取りえず、今ネットで分かる情報はこのくらいです。
すでに半年を過ぎているので、かなり情報は減っているようです。
しかしそれにしても情報が少ない。まともな情報は結局CNNのニュース1本のみです。ロイターもUPもBBCもニューヨークタイムズもない。だからその後のフォローがありません。
改めてイスラエル・ロビーの強力さに舌を巻く思いです。
アルジャジーラが見えないのはやはりムハンマドの影響でしょうか。


それにしてももう少しビオが欲しい。
そうなれば英語情報に飛び込むしかない。
Razan al-Najjar: 21-year-old Palestinian medic who became a symbol in Gaza
という記事

彼女は死亡前にすでにスターだった。ナザル自身もデモ中に2度負傷していた。
写真はネットで広がっていた。白衣に色とりどりのスカーフをまとい、危険な場所でカメラマンに貴重な映像を提供していた。
それは彼女の狙いであったかもしれない。彼女は負傷者の血のついた白衣でしばしば登場し、最前線の医療者であることを印象づけた。

彼女の狙いは女性の役割を認知させることでもあった。ガザの支配者は封建的なイスラム思想を押し付けようとしたが、それはガザ市民によって拒否されてきた、

ナジャールは1996年9月11日、ガザ南部のカーン・ユニス町のクザア村で生まれた。
6人の子供の年長者で、両親とともに親戚のアパートに住んでいた。ナジャルは大学には進学していないが、カーン・ユニス町のナセル病院で2年間のパラメディックコースを終了している。

父、アシュラフは封鎖が厳しくなる前、イスラエル国内のくず鉄業で働いていた。その後ガザ市内でオートバイのパーツ店を経営していたが、2014年に空爆で店が破壊されて以来、失業している。

狙撃時の様子

彼女は医療者用の白衣を着用し、手を高くあげた姿勢でフェンスに近寄っていった。そこには催涙ガス弾があたって負傷した男性一人が倒れていた。

彼女が負傷者に近づいたとき、鉄条網の向こう90メートル足らずのところから、イスラエルの兵士が発砲した。弾丸は彼女の上体にあたり、彼女はそのまま地面に倒れた。

デモ隊の集団が彼女を助け、救急車に乗せた。ナジャールは欧州ガザ病院の手術室に担ぎ込まれたが、そこで死亡が告げられた。

イスラエルの反応

イスラエル当局はナジャルの評判を落とそうと狙っている。彼女はテロリストの仲間だ、ネタニヤフの報道官は細工したナジャルのインタビュー映像を公表し、彼女はハマスの要請を受けて、抗議デモの“人間の盾”となるために参加したのだと述べた。

ナジャルはどう言っているのか

正確にはナジャルは次のように述べている。
私たちは一つの夢を持っています。それは人々の命を救い、ここから抜け出すことです。
もう一つの夢は「私たちは武器などなしに何でも成し遂げることができるのだ」というメッセージを送ることです。

ナジャルの最後の言葉

ナジャルは5月31日にフェースブックに最後の言葉を残しています。
あなたの良心はこれからもずっと癒やされることでしょう。なぜなら神様はいつもあなたの願いをわかってくださっているからです。
お休み、ぐっすりと。元気でね。