「神武東征」を考える その2 にぎはやひ王国

東征の決定

東征の決定に至る経過は以下の通り

瓊瓊杵王国は飽和状態に近づき、国々には君があり村々には長がいて、互いにしのぎを削るようになっていた。
その時、塩土の老翁が「東に美しい土地がある」という話を伝えた。その国は青く美しい山が四方を囲んでいる。そこは天の磐船に乗って天から飛び降った(侵入した)饒速日という者が支配している。

饒速日王国を攻めて、自分たちが瓊瓊杵王国の名のもとに支配しようではないか、というのが呼びかけである。

そこで、この饒速日の位置づけであるが、天から飛び降った(朝鮮半島から渡来攻撃)ことは間違いない。
しかしその“天”は高天原系の天である。なぜなら、本来豊葦原瑞穂の国は高天原政権によって。瓊瓊杵王国に属すべきものとされているからである。

東征の発議は彦火火出見がしたことになっている。彼が45歳になってから言い出し、周囲を説得したということになっている。
このくだりは後付けであろう。強引に読み込めば、それは神武王国(瓊瓊杵王国の一支国)を建国した彦火火出見が、45歳になって、往時を回想しつつ王政を意味づけたというふうにも取れる(しかしこれではあまりにも映画のシナリオ風だ)

これらの読解は日本書紀を基盤としているが、古事記ではより簡潔に語られている。本当のところ、彦火火出見は行って戦ってみるまで、相手がどんな集団なのかわかっていなかったのではないだろうか。

私は以前から、高天原政権は紀元前100年ころに洛東江中流に成立した衛氏朝鮮の残党国家だろうと考えている。
天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神という面々が任那(伽倻)を形成した。後に一部は分裂し慶州方面に別政権(スサノヲ系)を立てた。百済は別系統の北方系(扶余族)と考えている。

その慶州グループが本国においては新羅となり、出雲に渡って別の征服王国を立てたのだろう。そして出雲王国の流れが近畿に入って饒速日王国を立てたのではないだろうか。

なお「にぎはやひ王国」を建設した饒速日と神武に降伏した饒速日が同一人物であるかどうかはわからない。また神武に降伏した饒速日と、神武一族と濃厚な血縁関係を結ぶことになる大事主が同一人物であるかどうかもわからない。
ただ瓊瓊杵と饒速日が同じ言語系統、高天原政権由来ではないかという予感はする。とすれば、饒速日説は神武が東征を根拠付けるために、オオコトヌシを瓊瓊杵の兄弟とされる饒速日に擬した可能性である。