「神武東征」を考える その1 ににぎ王国

すみませんが、この文章は入門書「日本神話.com」を読みながらの感想なので、まったく裏付けのない思いつきノートです。そのうち、裏打ちをしていきたいと思います。

神武の出自 (神武紀)

神武の家系を見るとすこぶるいい加減である。
神武の幼名は彦火火出見(ひこほほでみ)
父方は天照大神の子孫、母方は海神の娘とされる。
おそらく邪馬台国の分家筋で、豊前中津あたりの海賊の長と婚姻関係を結んだという筋書きであろう。
祖父の名前も彦火火出見で俗称が山幸彦、祖母も海神の娘というから実にずさんなでっち上げだ。

結局はっきりしているのは母方が一貫して海神の娘であるということで、つまりは良く言えば水軍の長、悪く言えば海賊の頭目ということだ。
それが家系に色を付けるために、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を載せている。これは「ソンジョそこいらの海賊ではない。もとは清和源氏だぞ」というほどの意味であろう。
 
瓊瓊杵尊を担いだ理由

おそらく神武の父が神武4兄弟を送り出すにあたって、派兵の理由を述べた箇所がある。

これについては後で触れるのだが、実はその前に、瓊瓊杵尊に関するに重要な説明が加えられているのである。

瓊瓊杵尊は豊葦原瑞穂の国を征服するよう命令され派遣された。命令したのは高天原政権で、そこには豊葦原瑞穂の国の全土に対する支配権が認められていた。

重要なのは、瓊瓊杵尊が降臨する前にすでに日本=豊葦原瑞穂の国は存在していたということである。彼は日本を作ったのではなく征服したのである。ということは、豊葦原瑞穂の国は被征服国だったということになる。

豊葦原瑞穂の国と「ににぎ王国」

ついで征服王朝たる「瓊瓊杵王国」の経過が総括される。
「日本の事情がわからなかった瓊瓊杵尊は、まず西の外れの地を治めることにした。その子孫は慶事を重ね、支配を強めた。

以上の経過からわかることは、まず豊葦原瑞穂の国があって、そこに瓊瓊杵が侵入してきて「瓊瓊杵王国」を作った。それは当初は豊葦原瑞穂の国の西側の一部を支配するに過ぎなかったが、徐々にその版図を拡大した。

被征服国である豊葦原瑞穂の国の民は、神武の父、の時代には瓊瓊杵王国の支配を受容していた。

そういう経過があるからこそ、どこぞの馬の骨が瓊瓊杵尊の末裔を推しいただいて、自らの箔付けとするということに政治的意味が生じるのである。