Dinorah Varsi についての記載は皆無に等しい。ようやく見つけたのがWikipedia のサブミットされていない予稿

Dinorah Varsi(1939年11月15日 ― 2013年6月18日)は、ウルグアイのピアニスト

モンテビデオで生まれて、彼女は3才でピアノを演奏し始め、8才でソリストとしてオーケストラとともにデビューをした。その頃の教師Sarah Bourdillon はパリ音楽院でコルトーの指導を受けた人だった。

10代をウルグアイ、ブラジル、アルゼンチンで経歴を積み、1961年にソリストとしてパウル・クレツキーの招聘を受けダラス・シンフォニーで米国デビューをした。

その後ニューヨーク、パリをへて、スイスでゲザ・アンダの下で研鑽を積み、1967年のクララ・ハスキル国際コンクールで優勝し、ザルツブルグ、ベルリン、プラハとチューリッヒでのコンサートで国際的な経歴を開始した。

彼女はもっとも影響を受けたピアニストとしてゲザ・アンダの名を挙げている。

国際プレスで広く称賛された。「ホ短調のショパンのコンチェルトにおいて、彼女は数えきれない色のパレットを開発し魅力的な絵を描き上げた。…Dinorah Varsiは、ショパンのピアノ音楽の世界のエキスを理解する極めて少ないピアニストのひとりだ。…伝説のピアニストDinorah Varsiを聞かなかった人々は、本当にセンセーショナルなコンサートを見のがした」と書かれている。

彼女は、ヨーロッパの最も高名なフェスティバル(例えばザルツブルグ、ルツェルン、シュレスヴィヒホルシュタイン、ミュンヘン)にも出演している。また主要なシンフォニー・オーケストラ(Berlin Philarmonic under Semyon Bychkov, the Concertgebouw of Amsterdam under Bernard Haitink, the Royal Philharmonic in London, the Munich Philharmonic and the Rotterdam Philharmonic)と演奏した。1990年から1996年の間、カールスルーエ音楽院でマスタークラスを教えて、最も高名な国際競争の審査員となった。

彼女のレパートリーの中核は主としてロマンチックな作曲家であったが、Galina Ustvolskayaのような現代の作曲家も演奏し、モーツァルトも得意とした。「Dinorah Varsiのモーツァルトは、純粋な喜びである」と賞賛されている。

Dinorah Varsiは、2013年6月18日にBerlinで亡くなった。

recording career

Schumann (Kreisleriana and Kinderszenen)

Chopin (the three Piano Sonatas, complete Mazurkas, 24 Etudes, 24 Preludes, Fantasy in F minor, Impromptus and Complete Nocturnes)

Brahms ( both Concerti, Rhapsodies Op.79, Intermezzi Op.117, Piano Pieces, Op. 116, 118 and 119)

Franck (Prelude, Chorale and Fugue)

Debussy (Preludes, Book 1)

ということで病気のことは全く書かれていない。

経歴中断の理由にも触れられていない。

分かったのは、彼女の録音された演奏のほとんどがyoutubeで聞けるということだ。つまり私の作成したyoutubograaphyがほぼ全てということだ。