ウィーンで泊まったのが市南部メドリング街のルネッサンス・ホテル。超モダンな内装でいささかたじろぐ。
朝、恐る恐る街に散歩に出る。朝と言っても日の出は7時半をすぎるから、まだ薄暗い。
ホテルの南側が堀になっていて、そこを電車が走る。この堀は旧ウィーン市の内外を分ける境界になっていたらしい。地図で見るとここから駅一つ隣がシェンブルン宮殿だ。ぶらりぶらりと通りを歩き始める。駅と宮殿の敷地の中間あたり、通りの南側のアパートにプレートが貼ってあって、何気なしに見上げるとスターリンの住居跡と書いてある。これには流石に驚いた。
stalin
左下の緑がシェーンブルン公園の北東端。ホテルはメドリング駅の北東である。シェーンブルン城壁通りの「」がそのアパートだ。
遠景、近景、パネルと3枚写真を撮ってきたが、パァになったのは前記のとおり。
気を取り直すのに24時間を要した。
ウィキペディアのスターリンに関する記載はきわめて浩瀚だが、ウィーン在留の記録はない。一応次の記事に「年譜」として掲載しておく。
ネットで調べるとたくさんの記事がつかまるが、根っこはすべて同じで、2017年の「BBCマガジン」に記載された下記のもの。これも一応別記事として掲載しておく。
この記事は、アラン・ブロックの著書「対比列伝 ヒトラーとスターリン」(1991年)が出典らしい。この本では第一次大戦前のある時期に、スターリンとヒットラーが同時にウィーンにいたというのがミソになっているようだ。
1200px-Vienna_-_Stalin_Memorial_Tablet

ネットで探していてこの写真を見つけた。建物の外壁はこの色だったが、私の見たプレートは絵はなく文字だけだった。Schönbrunner Schlossstraße 30と書いてあるので同じ場所だろう。

2018年10月17日  若きスターリン 年譜