夜帰ってきてテレビでニュースを見た。驚いた。まさかデニーさんが勝利するとは思わなかった。台風がギリギリ投票に間に合うように、去ってくれたからなのだろうか。
事前の見込みでは組織が期日前投票でぎしぎしと囲い込み、公明党も締め付けを強化しているということで、どうしても足りないなぁと思っていた。各種選挙でも此の処負け続きだったからだ。
天気も組織票の強みを加勢しているかのように思えた。
ところが蓋を開けたらこういう事になった。おそらく沖縄県民の投票行動が劇的に変化したのであろう。他に考えようがない。
前回、翁長さんが勝利したときも、オール沖縄という投票行動パターンが出来上がったが、今回はそれをさらに乗り越える新たな投票行動が示された。その半分は、弔い選挙という事情で説明できるかも知れないが、残り半分はそれ以外の理由だろう。
投票率がどうだったのかが気になるが、もしそれが異常に高いものでなかったとすれば、自民党が割れたか、公明党が割れたか、あるいはその両者であったか、ということになる。
おそらくそれは日本全国での立憲・平和勢力の勝利に向けた水路を示してくれることになるだろう。
早急な総括が望まれる。

とりあえず、ちょっと、各紙の報道を眺めてみる。
琉球新報
選挙戦そのものは力づくの組織戦だった

今回の県知事選は激戦が予想された。しかしフタを開けてみると玉城氏が予想外の圧勝。なんと過去最多得票の大勝という結果。

当 396,632 玉城デニー 無新

  316,458 佐喜真淳 無新 =自公維希

  開票100%
投票率は63.24%だった。これは前回選を0.89ポイント下回った。ということだ。

投票行動の組織率を示す期日前投票だが、5日前で全体の約2割に当たる1万6千票まで達した。これは4年前の知事選と比べて2.4倍多い。これまでにまして組織選であったことが分かる。

創価学会は本土から約5千人を沖縄入りさせた。彼らは学会員や自民党員を投票所へ連れて行く役割を負わされている。そのため、選挙期間中の沖縄のレンタカー予約はたくさんの学会員で埋まっている (アエラ)

それを考えると、「玉城氏が世論調査などでは終始リードし、そのまま、逃げ切って当選」という経過は非常にわかりにくい。

ガチガチの組織戦で、しかも組織票は自公が圧倒している。なのに終始玉城優勢だったというのはどういうことだ。

キャンペーンが勝敗を分けた?

キャンペーンを見ていると、出足の良さは弔い、タマ良し、アムロ良しということになろうが、これでは息切れするはずだ。

私が選対なら、デニーへの個人攻撃・中傷を徹底してやる。タレント上がりに任せられるか、あとはデニーの特異な生い立ちを使って過去を根掘り葉掘りと陰険に掘り出していく、週刊文春の得意技だ。場合によってはアムロいじりも辞さない。

ところが、この空中戦が功を奏さなかったばかりか、逆効果になった可能性がある。

出口調査の非公式な集計だが、玉城候補は無党派層や女性からの多くの支持を得たという。
また支持政党別の投票先では、無党派層の7割が玉城氏に投票した。
もちろん立憲、共産、社民の各支持層はほとんどが玉城氏に入れていた。

つまり、風は最初から最後まで玉城側に吹いていた。ただの風ではない。国家権力が総掛かりでねじ込んでもかなわないほどの強風である。
そのさい、アムロの一言は強烈なメッセージになった可能性もある。
沖縄の事を考え、沖縄の為に尽くしてこられた知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される沖縄であることを願っております
非政治的だが、非政治的であるがゆえに強烈だ。
「イデオロギーよりアイデンティティー」というのは翁長さんのキャッチフレーズで、玉城さんも使ったようだ。激烈なイデオロギーを持ち込んでいるのは誰か、非政治的でオールオキナワ的なのはどちらか。それがアムロのメッセージで鮮明にされている。

逆風を招いた自民党のキャンペーン

地元選対の幹部はこう言っているという。
『対立から対話へ』キャンペーンはおかしい。チャレンジする側のスローガンではない。「女性の質の向上」発言も女性票を遠ざけた。菅長官の「携帯電話料金の4割引き」も、沖縄県民をバカにしているのかとの反発を生んだ。
おそらく現地の頭越しに中央でキャンペーン戦略がねられ、それがいちいち逆効果を及ぼした、ということらしい。つまりは中央のおごりと侮りが常につきまとったのである。

ある国会議員は、『沖縄の人たちはよく戦ってくれた』と話した。集団自決を知る沖縄の人は、本土の人がこういう“愛国漫談”をすると、トゲに触れたように敏感に反発する。
そのことがわかって自民・公明の支持者が逃げた。

デニー玉城+翁長一家のタッグ
翁長は死の直前、後事を託したい人物として指名した。翁長は玉城を「戦後沖縄の歴史を背負い、沖縄を象徴する政治家になる」と評した。
県幹部のひとりは、「意表を突く名前でしたが、すぐに『なるほど』と思いました。翁長さんの着眼には唸らされました」と語った。
沖縄タイムスの記者座談会では次のように語られている
小さな子どもたちが「デニー」と駆け寄る場面が印象的だった。ギターを片手に「ロック」音楽を熱唱した。
ラジオDJになる前の玉城さんは、福祉関係の仕事を努めた後、ロック歌手となりライブハウスで歌っていた。琉球放送に自分の番組を持つようになり、人気ラジオパーソナリティーとして活躍していた。その後さらに政治家を志し、2002年に沖縄市議に初当選。09年には衆院議員に初当選している。
デニー
琉球新報は伝えている。
沖縄県知事選で玉城氏ほど、いわれのない多くの罵詈雑言を浴びせられた候補者がかつていただろうか。
ネット上では玉城氏に対する誹謗中傷やデマが拡散された。模範となるべき国会議員までが真偽不明の情報を発信した。
これに対して反撃に立ち上がったのが翁長前知事の妻、樹子さんだった。
政府があらゆる権力を行使して、私たち沖縄県民をまるで愚弄するように押しつぶそうとする。何なんですかこれは。…そんな人たちには負けたくない。私も一緒に戦う
デニー選対の青年局は、翁長知事の息子の雄治くんがしきった。彼の組織したSNS班がネット選挙を盛り上げた。それもデニーさんの勢いにつながった。

琉球新報社説
玉城氏が当選したことで、新基地建設に反対する沖縄県民の強固な意志が改めて鮮明になった。政府は、前回、今回と2度の知事選で明確に示された民意を率直に受け止め、辺野古で進めている建設工事を直ちに中止すべきだ。
この期に及んで、なおも新基地を押しつけるというのなら、民主主義国家を名乗る資格はない。
自民党が割れたか、公明党が割れたか、あるいはその両者であったか
ということで、最初の問いに戻る。もちろんまだ語るだけの材料は出てきていない。
しかし割れたことは間違いなさそうだ。公明党が割れたというのはありえない。ありえないから割れた人がニュースになるのだ。
自民党が割れたのだと考えざるを得ない。それは翁長さんと保守的保守の間にできた亀裂より、さらに右側に亀裂が入ったのであろう。