以前、
という記事で
一首だけ紹介した山崎方代という歌人。思い出して調べてみた。

絵に描いたような日本の貧困
一応経歴をなぞってみる。山梨県右左口村の農家の生まれ。大正3年だから私の父と同じ年だ。
方代(ほうだい)は本名。8人兄弟中5人が夭死したことから、末っ子の方代には「生き放題、死に放題」させようと名付けたらしい。これだけたくさん生んでたくさん死なせたというのは水呑百姓の証だろうが、それを子供の名前にしてしまった父親もひょうひょうとしたものだ。
尋小卒後家業を手伝いながら“田舎の文学青年”としての日々を送る。24歳のとき横浜に転居。姉の嫁ぎ先に身を寄せ、職を転々と変える。
3年後に招集され、ジャワ島、ティモール島を転戦。負傷し右眼失明、左眼視力0.01となる。視力が落ちただけではなく目つきも悪くなった。金子秀雄はこう書いている。
ジ ャワ島の東方のチモール島、その近くのマルメロ島とやらでアメリカの艦砲射撃で物恐ろしい目つ きになってしまった。
復員後は傷痍軍人の職業訓練で習った靴の修理をしつつ各地を放浪する。
51年(昭和26年)に横浜の姉の下へ落ち着く。金子によれば
かれには二十も年の違う姉さんがいて、それが横浜で大きな歯科医院を経営し、彼はそこで技工をやっている。
ただ、弱視の彼にどれほどの仕事ができたかは疑問の残るところで、恩給ぐらしの居候というのがありていのところではなかったろうか。
彼は68年に姉宅を出て、戸塚の農家で住み込みばたらきとなる。
72年から鎌倉で間借り生活をはじめる。気のいい大家と奥さんでやっと住み処を見つけたようだ。この頃左眼の視力がいよいよ低下し手術している。
75年 山梨日日新聞に「山崎方代の冬」が掲載され評価が高まる。
85年に肺ガンのため死亡。享年71歳。
まるで絵に描いたような辛苦・薄幸の人生だ。

山崎方代の人となり
ウィキペディアには「特定の結社に属さず、身近な題材を口語短歌で詠んだ」とあるが、そんな思想信条みたいな話ではないだろう。
自らを「無用の人」と言い、世間から離れて暮らしていた方代は、生涯独身であり、孤独で寂しい生活の中、ありのままの素直な表現でいくつもの歌を生み出しました。(甲府市ホームページより)
というのも贔屓の引き倒しだと思う。
むしろ女兄弟のバッチだから人懐こさが身上だと思う。教育はなく弱視で極貧だとなれば、そうそう人並みに扱ってもらえるわけじゃないのが世間というものだ。それだけの話じゃないのかな。
そういう自分を側から見て楽しんでしまおうというのが趣向だ。

ただ晩年には一定の固定フアンがいたらしい。
死んで花実が咲くものかと言うが、2003年には選歌集『こんなもんじゃ』画:東海林さだお
という本が出版され、田澤拓也 『無用の達人 歌人山崎方代伝』2003年という紹介本も出され、2010年には『山崎方代展 右左口はわが帰る村』(山梨県立文学館)という回顧展まで開かれている。

作品の紹介
主な作品(甲府市のホームページの「歌碑一覧」というのがいかにも方代らしい趣向だ)
1  ひる前に ランプのほやを磨きあげ いつものように豆を煮つめる
2  寂しくてひとり笑えば 卓袱台の上の茶碗が 笑い出したり
5  丘の上を 白いちょうちょうが 何かしら手渡すために越えてゆきたり
6  うつし世の闇にむかって おおけなく 山崎方代と呼んでみにけり
11 夜おそく出でたる月が ひっそりと しまい忘れし物を照らしおる

13 遠方より友来たりけり 目隠しをして 鶏小屋の鶏を選べり

14 ふるさとの右左口邨は 骨壷の底にゆられて わがかえる村
18 雲雀子よ早く孵せよ この麦も 少し早いが刈らねばならぬ
19 こんなにも湯呑茶碗はあたたかく しどろもどろに 吾はおるなり
22 私が死んでしまえば わたくしの心の父は どうなるのだろう









半分に絞ってしまった。ただし、ここには都会生活や戦争の記憶や放浪生活を歌ったものはない。故郷にはアルコール消毒された清らかな作品だけが残されているようだ。これじゃ生き仏だ。
生命(いのち)さえほめ殺されき…もない。
先程も書いたとおり、“自分を側から見て楽しんでしまおう”というのが方代の趣向だ。「ありのままで素直な表現」というのはそのための方便だ。もし素直というのなら“ネジ曲がっているけど素直”なのだ。一茶にも似たところがある。日本的なユーモアだろう。

歌碑にはなりにくそうな歌をいくつか並べてみる。

手の平に 豆腐をのせていそいそと いつもの角を曲りて帰る
夕日の中を へんな男が歩いていった 俗名山崎方代である
外灯の下を通って 全身を照らし出されてしもうたようじゃ
生れは甲州鶯宿峠に立っている なんじゃもんじゃの股からですよ
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております

約束があって 生れて来たような気持になって 火を吹き起こす

一生に一度のチャンスを ずうっとこう背中まるめて 見送っている
戦争が終わったときに 馬よりも劣っておると 思い知りたり
かたわらの土瓶も すでに眠りおる 淋しいことにけじめはないよ
かぎりなき 雨の中なる一本の雨すら 土を輝きて打つ