昨日の記事で3つの脆弱性と書いたが、通貨システムの脆弱性、国家財政基盤の脆弱化は良いのだが、金融システムの脆弱化という表現が正しいのかが我ながら気になる。
金融システムと言うと銀行を中心としたハード的な概念になってしまう。たとえばBISの規制強化みたいなものが金融を代表するのかと言うと、むしろそういうものはますます辺縁化しつつあるのではないかという感じもする。
そういう意味ではまさしく「金融システムの脆弱化」なのだが、金融と言うにはもっと広くて漠然としたマーケットがあるのではないか、そこがタガが外れて暴走しているのではないかという感じがする。
我々がこれまで語ってきた市場の需要・供給曲線というのは商品世界のバランスだった。しかし今我々が目の前にしているのは商品を中心として動く世界ではない。それは利子を駆動力とし貨幣を媒介として形成される需要・供給曲線の世界である。
貨幣を媒介とするというのは正確に言うと貨幣の取得権(SDR引き出し権)なのだろう。話がややこしくなるのでとりあえず貨幣にしておくが、金融市場というのは貨幣の取得権の売買が基本となる市場であろうと思う。
それで思い出したのだが、以前マルクスの資本論第3部を学んでいる時に「信用市場」という概念にこだわっことがある。結局私の基礎学力不足のために、それ以上進むことはなかったのだが、今考えてみるとこの「市場」の失調がリーマンショックの本質ではないかと考えてみたくなった。
これまでも過剰生産恐慌に加えて金融恐慌という概念はあったし、マルクスもそれを描いている。

しかし、マルクスの予見したものは「金融恐慌」という枠組みをはるかに超えた、「信用市場」のメカニズムの破綻がありうるということだ。
おそらく商品市場が経済の土台で、その上にそびえるのが信用市場というもう一つのメカニズムなのだろう。マルクスは商品を手がかりに資本主義の生産システムを全面分析していくのだが、その上に信用市場が成立し、独自の論理で動き始めること、そして信用の創出過程の秘密を解き明かすことなしには、資本主義の全容は解明できないだろうということを予感していた。

日経新聞の株屋予想的分析にとどまらず、この課題への手がかりを見出していくことが「経済学」のなすべきことではないだろうか。

をご参照いただければ幸甚です。