「技術の本質」論のない覇権論は虚しい

宮崎さんは「米中の技術覇権争い」という考えを持ち出して、この視点から米中貿易摩擦を裁断しようと図っている。これについてはにわかに承服し難い。

まずは技術の本質論と、技術組織論についてポイントを抑えておきたい。

A) 生産技術の向上という点で、中国の発展は目覚ましいものがある。特に先進技術の場面では世界の先端を行く分野も出ているようだ。ただし、技術というのは総合力なのであって、ルチーン・レベルの高さ、技術の高度な安定性、オーディットの緻密度、人材・資金の組織度、営業事情に即応できる技術能力などの全般にわたって見ていかなければならない。
これは東北大震災の時に日本の技術の奥行きの深さにあらためて感じ入った記憶と重なっている。
こういう総合的な視点から見て、中国の技術水準は米国と覇権を争うレベルに達しているのか。私にはそうは思えない。

B) 軍事技術は民生技術とは別の次元で語られなければならない
原爆、水爆、大陸間弾道弾とソ連は米国に拮抗できるだけの軍事技術を担ってきた。中国も人工衛星を飛ばし有人宇宙飛行を可能にするまでに技術を高めた。北朝鮮は国民を飢餓状態に置きながら、ひたすら軍事技術に磨きをかけ、ついに核兵器とICBMを保有するまでに至った。
的を絞りコストを無視すれば、そういうことは可能なのである。

C) それにもかかわらず、往々にして軍事技術と民生技術とは混同される。
というより意識的に混同させられる。それは多くの場合、政治的に演出させられた「〇〇脅威論」である。そして皮肉なことに、この手の脅威論をおる連中こそがもっとも危険な「脅威」であることが多いのである。
技術の本質を人類の知的財産と考えるなら、それは確かに軍事と非軍事を問わず同じだ。
しかし政治・経済システムの中での“テクノロジー”という概念は組織であり、システムなのだということを踏まえなければならない。
それでなければ、そもそも技術に覇権がつきまとうことの説明ができないではないか。

ということを踏まえた上で、宮崎さんの議論に戻る。

宮崎さんの論点は3つある。
① 「中国の技術覇権を抑え込む」ことでは共和党・民主党を問わず米国内にコンセンサスがある。米国の政財界はこの点では一致して動くだろう。
② 国防総省が活発化し、中国脅威論を発信している。「このままでは米国の技術で開発された中国製兵器が米国に向けられる」というのが彼らの言い分である
③ 中国の二つの企業が世界の特許出願件数で1,2位になっている。個別企業レベルではすでに米国は中国に追い抜かれている。
宮崎さんはこれらの点をもって、「米中の技術覇権争い」の根拠としている。率直に言って、これは経済学者らしからぬ相当あらっぽい論理である。

ただこの記事は連載で、次の日にもう一つ記事が載るので、それをみてから判断したい。