中野徹三他の共著による「スターリン問題研究所説」という本がある。この本のなかに、スターリンの弾圧に関する3つの統計があった。とりあえず引用しておく。

1.フ秘密報告など
党幹部への弾圧を示す一連の統計である。
17回大会で選出された当中央委員及び候補139名のうち、98名すなわち70%が逮捕され銃殺された。(主に1937~1938年)
…票決権または発言権を持つ1966名の代議員のうち1108名が、反革命的犯罪のカドで逮捕された。
メドベージェフはウクライナの共産党組織に関する数字を報告している。ウクライナの党員総数は1934年の45万人余りから、38年の28万人に減った。
ベールヒンの研究によれば、「36年憲法」草案を準備した憲法委員会の委員32名中、21名が弾圧の対象となりそのほとんどが刑死・自死した。

2.ロバート・コンフェクトの「大粛清」研究
表現がロシア文学風で、回りくどい。
弾圧はすでに1920年代末に始まっているのだが、大粛清というのは37年から始まる。
37年1月までは小弾圧だったかと言うと、決してそうではない。
37年1月時点での収監者・収容者はすでに500万人を数えていた。
それから2年間が、いわゆる大粛清の2年である。
この2年の間に新たに逮捕されたものが700万人いた。つまり合計で1200万が収監者・収容者である。
しかし2年後の38年12月、収監者・収容者は900万人にとどまった。つまり差し引き300万人が死亡したことになる。コンフェクトはこのうち処刑されたものが100万人と推計している。釈放者もいた可能性はある。

3.メドヴェージェフの報告
1956年、第20回大会直後の数ヶ月で500万人以上の政治犯が釈放された。
30年代から50年代に及ぶ被逮捕者・被収容者の延べ数は推測不能である。

4.エム・マクスードフの研究
「1918年~1958年におけるソ連の人口喪失」という論文にまとめられている。これはあくまで従来のセンサスを用いた推計である。
人口センサスに平常時の死亡率を掛けて、仮定人口を得た。この数と実際の調査結果の差が、公表されていない大量弾圧による人口喪失とした。
「(対独戦争での)750万人を超す兵士の死、600~800万人と言われる非戦闘員の喪失という膨大な数字がある。しかし900~1100万人の人口喪失は、ファシストの攻撃とは直接関係ない数年間に生じている。これこそスターリンの弾圧による喪失にほかならない」
表現がやや面倒くさいが、要するに
1940~45年の戦時中に750万+800万=1550万が死んだ。しかしその前後(実際は多くがその前だろうが)にも1100万の過剰死があった。これはスターリンが殺したロシア人の数である。
ということだ。
以前、第二次大戦でのロシア側死者の数が多すぎると疑問を呈したことがあったが、この大粛清による死亡もあまりにも多すぎる。
敵であればまだしも理解できるにしても、いわば「昨日の友は今日の敵」である。しかも相手は、殺されるまで「自分は友だ」と思っているのだ。
いまだに飲み込めないものを抱えている。
もうすこし他の資料もあたってみたい。