いま、トルコとベネズエラは世界中で経済危機がスポットライトを浴びる東西の両横綱である。
さまざまな経済指標の中でもとりわけ通貨安が先行しているところに特徴がある。
しかも、アメリカ=トランプ政権による強引な干渉がその引き金になっているところにも共通点がある。金融グローバリゼーションはいまや為替操作という強力な武器を手に入れたことで無敵となりつつある。その国際金融資本の身勝手な投機が途上国を苦しめているという構図も同じである。
さらに言うなら、そのような攻撃をかけるときの口実が民主主義と人権であることも共通している。
その口実は、弱小国を弄ぶための囃子詞として使われる一方、世界の富を独占し99%の人から搾り取る不正には目をつぶる。プーチンのウクライナ侵略にも目をつむる。そういう大変身勝手な「ルール」の上に成り立っている。
読者の皆さんにはぜひ、この大前提に立って物事を見てほしい。
そのうえで、トルコとベネズエラの違いについても理解する必要がある。
ベネズエラでは通貨ボリーバルが大暴落している。しかし、その原因は政府が外貨を放出しないからである。外貨がないわけではない。トルコは経済が発展し離陸段階に入っている。こういう国では原材料やノウハウ・設備を買うために外貨がいくらでもほしい。だから常にインフレ傾向は必然である。
ベネズエラはそこまで行っていないから、石油を売ったお金で、その範囲で生活するだけだ。だからそれほど深刻な外貨不足ではない。石油価格が半分になったら生活を半分にすればよいだけの話だ。だから本来インフレは発生のしようがないのだ。
今までの生活を続けようと思ったら、仮に生活用品の100%を輸入してたとして、物価は2倍になるだろう。それだけだ。それが1万%に物価が跳ね上がるのはドルの国内流通量があまりにも少ないのでとんでもないプレミアが付いてしまうのだ。
国内の流通量が少ないのは政府が市場へのドル流出を妨害しているからだ。いわばドル鎖国をしていることになる。では政府は石油を売った富をどのように国民に還元するか。物とサービスの直接提供だ。つまり配給制度だ。
配給なんで日本でもつい先日まであったのだ。私が昭和40年に札幌に来たとき、母親が私に「お米の通帳」を渡した。「そんな物いらねえよ」と放置しておいたのだが、実はそれが住民票だったのだ。それを市役所に出さなかったばかりに、私は幽霊市民になっていた。選挙になっても投票権が来ないので、いろいろ調べているうちに、やっと配給手帳が住民票と同じだったのだということがわかった。
こういう分配システムのもとではどうなるか。政府の指示通りに働き暮らす限りにおいてはまったく不自由はないのだ。国内通貨は国内では普通に通用する。
別に不思議じゃないでしょう、
ドルが高すぎると言うが、団塊世代以上の人にとっては。あのとき1ドル360円だったのだが、それで困った記憶はありますか?
サザンのコンサートのチケットが50万円になっても別に困ることはない。ただ悪徳ダフ屋は取り締まるべきだろう。コンサート・チケットがドル札になったと思えば良い。ベネズエラのドル市場というのは完全に闇市場だから、闇ドルを禁止し摘発するのに躊躇することはないのである。
IMFが先頭に立って1万%とかいうのもどうかと思う。それは結局ドル換算で見た通貨価値の低下率の逆数である。しかも公定為替相場ではなく、素人が手を出さない闇相場を基準にしている。だから物価が上がってもデノミをすればそれで済むだけの話だ。

ただし経済制裁後は話は違ってきている。ドルがあっても物が買えない、売ってくれないという状況が出てきているからだ。つまりこの1年間におけるベネズエラのハイパーインフレは、経済問題ではなく、優れて政治問題なのだ。

もちろん固定相場制をいつまでも続けるということが、市場原理による資本の再配分、経済の自律的成長の確保に障害となることは間違いない。対立的な政治状況が長引く中で、このような恣意の入り込みやすい経済運営を続ければ、内部腐敗を招く危険は率直に言って高い。

個人的な感想としては、2008年の憲法改正のときがチャンスだったし、それが失敗した時にもっと率直に反省すべきだったと思う。マクロにばかり目を向けたチャベスの責任だ。
妥協というのは上り坂のときにこそできるのであって、マドゥーロに今それをやれというのはかなりきつい。しかしどこかでやらないと、必ずどこかでやられると思う。