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2017年10月19日 「大阪と大大阪の歴史 年表」のページとドッキングささます。

時期不明 おそらく5世紀初め 仁徳天皇が難波津に難波高津宮を置く。

593(推古元) 厩戸皇子(聖徳太子)が四天王寺を建てる。飛鳥寺とほぼ前後。

595年ころ 最初の遣隋使が住吉津(難波津)を出発。

645(大化元) 大化の改新。孝徳天皇と中大兄皇子ら、都を飛鳥から難波長柄豊崎宮にうつす(前期難波宮)。蘇我残党の反撃を恐れたためか、あるいは西方との連携に活路を見出そうとしたためか。あるいは西方よりきたる蘇我援軍を迎え撃つためか。

740年 聖武天皇、一時難波京(難波宮)に都を移す。

754(天平勝宝6) 鑑真が難波津に到着する

1467 応仁の乱  細川の拠点となった堺が発展。明との交易も盛んとなる。

1496(明応5) 本願寺8世の蓮如が石山本願寺を建立。上町台地に寺内町がつくられる。

1532(天文元) 摂津・河内・和泉で大規模な一向一揆がおきる。この時期、石山本願寺の防御も飛躍的に増強される。

1550(天文19) 宣教師ザビエルが堺に上陸する

1580(天正8) 石山合戦。本願寺が織田信長との戦いに敗れ大坂を退去。寺内町は焼失する

1583(天正11) 天下を掌握した羽柴秀吉が大坂に入り、本願寺跡地に築城開始。上町台地から大阪平野にかけて城下町が開かれる。

上町台地下の低湿地に東横・西横・天満などの堀川を巡らせる。平野や久宝寺などから商人らがよびよせられ、大阪の原型ができあがる。

1615(元和元) 大坂夏の陣で豊臣氏が亡ぶ。

1619(元和5) 徳川秀忠、大坂を直轄地(天領)とし、大坂城を再建。城代・町奉行をおく。市街は北組・南組・天満組の「大坂三郷」に分けられ、町奉行の管轄のもとにおかれる。

江戸幕府は大坂を海運の要衝の地と定め、大規模なインフラ投資を展開した。河川の改修や堀の開削が行われ、水路が発達。さらに西方にも堀川が作られ開発が進んだ。「大坂は八百八橋、水の都」と呼ばれるようになった。

1600年台後半 船場、天満地区に市場が栄える。諸藩が蔵屋敷を置いた。蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれる。堂島米会所では世界で最初の先物取引が行われた。

経済的背景は二つある。一つは海上輸送を柱とする全国流通体系が出来上がったこと、もう一つは「大名貸」を頂点とするスーパー金融システムが出来上がったことである。この2つはいずれも大阪を中心として形成された。

大阪新田
     江戸時代の新田の開発


1688年 元号としての元禄はこの年から1703年までの15年間。

1703(元禄16) 人形浄瑠璃が隆盛期を迎える。近松門左衛門の曽根崎心中が初演される。

歌舞伎・浄瑠璃などの民衆芸能の中心は、京都から大阪に移る。また町人学者が生まれ、多くの私塾が建てられた。

1703年 関東で元禄地震。20万人が死亡。その4年後には東海地方中心に宝永地震、宝永山の噴火があり2万人以上が亡くなる。

1716年 徳川吉宗が8代目将軍となり、「享保の改革」を開始。元禄文化に終止符。

1730(享保15) 堂島の米相場会所が幕府公認となる。現米の受け渡しのない帳簿上の「差金決済取引」が行われる。

堂島の相場が全国の基準となった。今のロンドンのLIBORと同じだ。大阪は「天下の台所」として繁栄するようになった。多くの大名が蔵屋敷をおいて、米や地方の産物を運びこみ、お金にかえていた。

1837(天保8) 元町奉行所与力・大塩平八郎が乱をおこす

大塩は与力をやめて塾をひらき学問を教えていました。天保の大凶作に際し私財をなげうって貧民救済に当たりました。その挙句、「救民(きゅうみん)」を旗じるしに兵をあげました。

1838(天保9) 長崎から戻った緒方洪庵が適塾をひらく。

洪庵は江戸で4年、長崎で2年蘭学を学んだ(だけ…)。7年してから塾を大規模化。大村益次郎は直弟子で塾頭まで務めたが、福澤諭吉は小便程度。

1866年(慶応2年) 将軍家茂が大阪城に入り、長州戦争を指揮。間もなく家茂は死亡。

1868年(慶応4)1月 鳥羽伏見の戦い。敗れた将軍慶喜は船で江戸に脱出。 

1月 天皇が大坂入り。1年余りにわたり政務を執る。

1869年(明治2)3月 天皇が東京に向かう。大久保利通は大坂遷都を主張したとされる。

版籍奉還に伴い各藩の蔵屋敷が廃止される。「大名貸」の貸し倒れや地租改正により豪商の倒産が相次ぎ、大阪は衰退期を迎える。

1871年(明治4年)2月 造幣寮(造幣局)が開業する。

明治政府は兵器工場や兵学寮などを大阪に設置。これらを基礎に近代工業の知識や技術が広がる。

7月 廃藩置県。

1874(明治7) 大阪~神戸間に鉄道開通、大阪府の江之子島庁舎完成

1875年 大久保、木戸、板垣らが大阪で会談。政権運営について協議を行う。

1876 年 堂島の米相場会所が「堂島米穀取引所」と改称され、先物取引を世界に先駆けて開始。

1877年(明治10) 西南戦争。大阪は政府軍の最大の兵站基地となる。

1885(明治18) 大阪初の私鉄が難波~大和川間に開通

1889(明治22) 市町村制がしかれ大阪府管内の大阪市が創設される(堺も同時に市制施行)。この時の人口は47万人。面積は15平方キロ。一方、東京(都部)の人口は135万人。

1895(明治28年) 日清戦争が勝利に終わる。兵站基地の役割を担った大阪は工業都市として発展するようになり、この頃から「東洋のマンチェスター」と呼ばれるようになる。


1895年 別子銅山会社を基礎に住友銀行が創業。大阪を本拠地として急速に発展、三井・第一・安田・三菱と並ぶ五大銀行となる。

1897(明治30) 大阪市が第1次の市域拡張をおこなう。大阪築港の建設が始まる。

安治川口と木津川口から沖に向かって総延長10キロメートルの2本の防波堤をつくり、築港大桟橋を建設した。

1903(明治36) 大桟橋が完成。第5回内国勧業博覧会がひらかれる、巡航船・市電・民営乗合自動車が営業。

1918(大正7) 米騒動おこる

1920(大正9) 第1回国勢調査、市人口125万人、府人口258万人

1923年(大正12年) 関東大震災が発生。被災者の一部が大阪市など各地に転居。

1923年 大阪松竹座が完成。その後、四ツ橋に文楽座、31年に大阪歌舞伎座が完成。

1925年(大正14年) 第二次市域拡張。周辺の残余44町村全てを編入して大大阪市が成立。東京府東京市を上回り、世界各国の主要都市でも6番目に人口の多い都市となる。

ニューヨーク(597万人)、ロンドン(455万人)、ベルリン(403万人)、シカゴ(310万人)、パリ(290万人)です。この年東京の人口は214万3200人。

1925年 野村財閥の主軸として野村證券が設立される。

1928(昭和3) 大阪商科大学設立

1929 梅田で阪急百貨店が開業。梅田は元は「埋田」、湿地を埋め立てたところであった。

1930年(昭和5) この年の大大阪人口は245万人。世界大恐慌。線維輸出を主体とする大阪の経済は大きな打撃をうける。

1931年(昭和6) 大阪城天守閣再建、中央卸売市場ができる、大阪大学できる

1932年(昭和7年) 東京市は市域拡張(82町村編入)によって35区へ増加。大東京市(面積551平方キロメートル、人口497万人)が誕生。

1933(昭和8) 梅田~心斎橋間に地下鉄ができる

1937(昭和12) 道幅44メートルの御堂筋が完成。11年を要した。

1939 大阪府と東京府の生産額が逆転。以後その差を拡大した。原因は軍需の成長と民需の減少。

県別生産高推移1県別生産高推移sen
     府県別生産額の推移(縦軸は全国比%)


1939年 堂島米穀取引所、戦時統制の強化により廃止される。

1945(昭和20) 大坂空襲。焼夷弾攻撃により約21万戸の家が焼失、1万人以上が死亡、3万5千人が負傷。

10月 市人口は107万人、府人口280万人に激減。

1970(昭和45)  日本万国博覧会が千里丘陵で開かれる。この年泉北ニュータウンが完成。