以下の年表は北大大学院法学科の馬場香織さんの論文(メキシコの麻薬紛争に関する予備的考察)から作成したものである。この論文は「なぜ」という側面に迫ったものであるが、かなり話が難しいのでとりあえず端折らせてもらった。興味ある方は当該ページに当たられたい。

1960 年代 ヒッピー・ムーヴメントに乗って米国で麻薬の需要が急速に拡大。これにともないメキシコの麻薬生産も飛躍的に拡大する。

1976年 政府、米麻薬取締局(DEA)の協力を得て「コンドル作戦」を開始する。シナロア州を中心に徹底的な攻撃を加える。

1978 年 コンドル作戦が収束。グアダラハラに潜伏していたギャングが麻薬密輸を再開。

1980 年代 米政府、コロンビアからカリブ海を経てフロリダに至る密輸ルートを壊滅に追い込む。これに代わり、メキシコを経由するルートが主流となる。

1990 年代 コロンビアのカルテルが衰退。メキシコのカルテルがコカインを含む麻薬密輸の中心となる。グアダラハラを拠点としたカルテルと、メキシコ湾を拠点とするカルテルが勢力を伸ばす。

2000 年 大統領選。国民行動党(PAN)が勝利して政権交代が実現。民主化が達成される。

1990 年代 グアダラハラ系のカルテルは、フアレス・カルテル、シナロア・カルテル、ティフアナ・カルテルの3つに分裂する。

1995 年 メキシコで経済・金融危機。失業者の増加は、子分の調達を容易にする。

1996 年 ガルフ・カルテルのリーダーにオシエル・カルデナスが就く。シナロア・カルテルに対抗するため、対諜報活動に精通したメキシコ軍の精鋭メンバーを集め、超強力部隊「セタス」を創設する。

2003 年 ガルフ・カルテルのオシエル・カルデナスが逮捕される。これをチャンスとみたシナロア・カルテルが攻勢。これにセタスが応える。

2006 年 ミチョアカン州でミレニオ・カルテルに代わりファミリア・ミチョアカーナが台頭。住民に対する一定の支援を行う。

2006年 セタスの活躍を見た各カルテルが兵士のリクルートを活発化。6年間で5 万 6000 人が軍務を離脱。

2006 年末 カルデロン PAN 政権が発足。「対麻薬戦争」を宣言。

2007 年 セタスとシナロア・カルテルが休戦協定を結ぶ。

2009 年 フアレスを舞台にシナロア組織の内紛が激化。フアレスは世界でもっとも殺人率の高い街となる。

2011年 セタスはメキシコ湾カルテルから自立。メキシコ各地に支部を拡げる。カルテル間抗争は三つ巴となり、年間死者数が1万6千人を超える。

2011年 ミチョアカンでファミリア・ミチョアカーナが壊滅。住民への暴力を事とする「テンプル騎士団」が勢力を伸ばす。