大変よい本を読むことができた。と言ってもまだ読み始めたばかりなのだが…
題名は
片岡宏二 「弥生時代➖渡来人から倭人社会へ」雄山閣 2006年
というもの
以前から「北九州を語らずして弥生を語ることなかれ」と思っていたので、まことに的確な指摘が続き、心地よい興奮に襲われる。
面白いところを抜書きしていくことにする。

1.朝鮮系縄文人の認識

縄文人は、沖縄までふくめて全国的に均一で、おそらく北から渡ってきた人々(Y染色体ハプログループでいうとD系人)に由来するだろうと思われる。
しかし、朝鮮から縄文時代に渡来した人々(C系人)もかなりの割合でおり(人口の8~10%)、西日本および日本海側では少なからぬ影響を伝えている。
というところまではうすうすと分かっていたが、この本でかなりスッキリしてきた。

2.初期朝鮮系縄文人の遺物

片岡さんによれば朝鮮渡来の縄文人の遺物は少なくとも三種類ある。
① 結合針 これは二種類の骨片を繋ぎ合わせて一つの釣り針にしたものである。これが朝鮮海峡を挟んで両側から出土する。
② 黒曜石: これも海峡を挟んで両側から出土するが、原産地は佐賀県有田町の腰岳という山だそうだ。これが意味するのは、少なくとも縄文時代までは、大陸・半島・日本の関係は双方向性であり、上下関係ではないということだ。
③ 櫛目式土器: ポスト縄文というか縄文晩期というかそのあたりで櫛目式土器が出てきて、縄文土器と併存しているようだ。
これから分かることは、朝鮮系縄文は縄文後期に登場しているが、両者に敵対関係はなくあくまで併存関係だ。

3.朝鮮系縄文人と無文土器

弥生時代に先行する縄文時代後期を生きた人々を、我々は晩期縄文人と呼んできた。
朝鮮系縄文人は、時期的には晩期縄文人と一致する。
とりあえず同一の民と見て話を進めたい。
① 前期
朝鮮系縄文人の痕跡は紀元前1千年(3千年前)ころから出現する。
彼らの生活を象徴する前期無文土器は、半島中部に始まり、その後南に波及し、海を渡り西日本まで広がっている。
ただし日本においては、この無文土器は縄文土器と混在している。
北方系の農耕を営んでいたとみられるが、農耕を主体とするまでに至っていたかどうかは不明。
② 後期
ついで孔列文土器を使用する文化が半島から進入した。この孔列文土器旧型と新型に細分される。
日本における分布は、新型人が南九州(熊本・宮崎)に広く存在し、畑作農業を営んでいた。
一方旧型人は北九州に分布し、米作りを営む渡来人と重なっている可能性がある。
この地理関係は、新型人がまず九州に入り全土に展開。その後旧型人が北九州に入り、新型人を南に追い出したと考えるのが自然であろう。

4.旧型孔列文土器文化は渡来人のもの

紀元前200年から150年にかけて、朝鮮系の人々が急速に増加している。著者はこれを箕子朝鮮の滅亡と結びつけている。
金隈(かねのくま)遺跡の渡来人の墓地(支石墓)から渡来人の遺体136体が発掘された。
これから推計すると、弥生時代中期の福岡平野では、人口の8~9割が渡来人という計算になる。
福岡遺跡からは大量の無文土器が発見されている。その様式は完全な朝鮮式だが、原料の土は日本産である。
したがって同じ孔列文土器であっても、縄文系と弥生系でまったく異なる渡来人だった可能性がある。

かなり初見の事実が展開されており、正直のところ整序しかねている。もう少し同種資料を検索した上でコメントしたい。