ふと思いついて、「書いて置かなければ」と書いているがだいぶアルコールも入って、眠気も募ってきている。
思いつきというのは、大阪の繁栄は日本の中国進出を背景としているのではないかということである。
以前、明治維新というのは江戸幕府に対する関西の反攻ではないかと思いついて書いたことがあったが、それがあらゆる面から否定されてしまった、という苦い思い出がある。

たしかに要所要所で大阪は重要な役割を果たしてはいるのだが、長続きはしない。
元禄の頃、日本永代蔵という状況があって、大阪が日本の経済の中心ともてはやされた時代があった。近松とか西鶴、落語も上方優位だ。しかしそれは元禄の一刻であって、1800年代に入ると大阪は寂れ江戸は人口百万、世界最大の都市へとのし上がっていく。ところがそういうことは大阪の人は書かないから、いつまでも大阪が経済の中心地だと思ってしまうのである。

それが分かったのは堺市長選挙のときに、堺の勉強をしたからなのだが、明治の末まで大阪は堺の後塵さえ拝しかねないほどの落魄れであった。
それが大正に入ってから見る間に持ち直し、第一次大戦の後の糸偏景気で一気に日本のマンチェスターに上り詰め、東京と並び立つほどの勢いになったのである。
それを可能にしたのは中国貿易以外に考えられない。そのへんを少し数字で裏付けてみたいと思っている。秘密を解くカギは上海 にあるのではないかと見ている。