札幌も流石に暑くなり、調べ物をする気がしません。
フラフラと「ネット散歩」をしています。
今回は東京地図研究社のサイトで
というページを見つけました。多分社長さんの趣味のブログではないかと思います。
ざっと紹介していきます。詳しくお知りになりたい方はぜひ本文に回ってください。

1.谷は西日本、沢は東日本
谷状の地形を表す地名には「沢」と「谷」の2通りある。どこが違うかと言うと東と西の違いだ。
1/2.5万地形図に採用されている「沢」「谷」地名を県ごとに集計し、 その比率によって色分けをした。
谷と沢

東日本では「○○沢」が圧倒的に多く、逆に西日本では「○○谷」ばかりだ。
「沢」と「谷」を分ける境は、北アルプスの尾根に沿って引くことができるが、太平洋側では混在帯が存在する。
関東に「谷」の飛び地があることは、弥生人の集団移住があったことを示唆する。
中国以西の地域には「沢」や「谷」の地名がない地域がかなりあり、この地形に対する第三の呼称(渓や峡)があると考えられる。

2.東は縄文、西は弥生
その理由についてはまだ不明な点も多いが、縄文文化の影響を強く残す地域と弥生文化の影響が大きかった地域で 地名に差が出たともいわれる。
縄文文化は、 落葉広葉樹林の多い東日本を中心に発達した。 落葉広葉樹林にはドングリなどの木の実が多く、それが縄文人の主食になった。
また落葉広葉樹林は密林にはならないので、森に入っての猟(漁)がしやすかった。
西日本には照葉樹林(常緑広葉樹林)が広がっており、 密林化して人を寄せ付けない。そのため縄文人の数は東日本に比べはるかに少なかった。

3.弥生人の東方進出で状況は変わった
やがて西日本に稲作とともに弥生人が渡来してきた。彼らは、照葉樹林を切り開いて耕地にしながら、生活圏を広げた。
西日本の縄文人は、少数派として生きるための選択を迫られた。
徐々に弥生人と融合していくか。それとも山奥へと引きこもっていくかである。
一方弥生人にとって、「谷」は危険で近寄りがたい密林であった。


中核的事実は1.であり、2.と3.はその解釈である。
いろいろデータを眺めつつ、いろいろ思いを巡らせてみたが、結局断念した。これ以上分析しても、たいしたものは出てこないと思う。牽強付会になってしまいそうだ。

目からウロコの地名由来 というブログの「谷」と「沢」地名も参考にした。