赤旗の国際面に、ベルギーで開かれたある集会がレポートされていた。
新たにアルメニア首相に選ばれたニコル・パシニャンを歓迎する集会で、参加者はすべてアルメニア人。
おそらくは亡命しベルギー近辺に在住している人々であろう。
日頃、アルメニアに関連するニュースなど耳にすることがないから興味が湧いた。
以前からアルメニア、クルドの両民族は気になる存在であった。ともに過去においてジェノサイドの対象とされてきたからである。さらにユダヤ人も含め、中東の三大ディアスポラとなってる。
赤旗の記者は参加者の一人で元ミス・アルメニアだという女性の方に興味があって取材・報道したらしく、アルメニアにはとんと興味はなさそうだ。
そこで我が「物好き社」が代行して報道することにしようと思う。
まずはニュースを探してみる。

【5月8日 AFP】 
アルメニア議会は野党指導者のニコル・パシニャン(Nikol Pashinyan)を首相に選出した。パシニャンは与党・共和党内からも支持を獲得し、賛成59、反対42で選出された。
パシニャンは、「私の初仕事は、この国に普通の生活をもたらすことだ。アルメニアに汚職はなくなる。アルメニアは政治的迫害を過去のものとする」と述べた。

アルメニアを知るには、アルメニア人の迫害の歴史、ミニ国家としてのアルメニア国の歴史、そしてパシニャンを生み出した民主運動の歴史について知らなければならないだろう。

とりあえず、例のごとく年表で整理していく。

アルメニアは、ハイ族の王アルメナクから来ている。
アルメニア人は自らをハイ、国をハヤスタンと呼ぶ。

アルメニアは、先史時代からその存在が知られていた。

5500年前の革靴



























   アルメニアで発掘された5500年前の革靴
紀元前9世紀 ウラルトゥ王国が成立。紀元前8世紀にはアッシリアまで進出。
紀元前6世紀 ウラルトゥ王国が滅亡。アケメネス支配下のアルメニア人が植民し国際交易に従事。
紀元前331年 アレクサンドロス大王の率いるマケドニア王国の軍勢がペルシアへ侵入
紀元前188年 最初の独立国家「アルメニア王国」を築く。最盛期には黒海からカスピ海までを支配する。
アルメニア王国の最大版図
           アルメニア王国の最大版図
紀元前66年 アルメニア王国はローマに敗れ衰退。ペルシャの支配下に入る。
1世紀頃からキリスト教の布教活動が行われる。
紀元301年 アルメニア、世界で初めてキリスト教を国教とする。
400年頃 アルメニア、ササーン朝の支配下に入る。
その後ペルシャ人、東ローマ、アラブ人、蒙古人、トルコ人が相次いで支配者となった。
10世紀 アルメニアはムスリムと東ローマの境界地帯となり、多くのアルメニア人がキリキアに逃れる。
1198年 キリキアに定着したアルメニア人が、キリキア・アルメニア王国を建設。交易国家として発展。
キリキア・アルメニア王国
          キリキア・アルメニア王国
1375年 マムルーク朝の占領を受け、キリキア王国が滅びる。
1636年 オスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアがアルメニアを分割し支配。
1826年 第二次ロシア・ペルシア戦争。ロシアがペルシア領アルメニアを奪取

1877年 露土戦争。アルメニア人はロシアの進出を歓迎。多くのアルメニア人がロシア領へ流入。
1894年 第一次虐殺。サスーンでアルメニア人が武装蜂起。その後の1年で数万人が犠牲となる。
エルズルム虐殺の犠牲者たち(1895年
    エルズルム虐殺の犠牲者たち(1895)
1914年 オスマン・トルコが第一次世界大戦に加わる。敵軍であるロシア軍には18万人のアルメニア人正規兵の他、アルメニア人義勇部隊8千人が加わる。
1915年4月24日 アルメニア人政治家・知識人など約600人が逮捕殺害される。その後の1年で60万人~100万人が殺害される。
1918年 ロシア革命が発生。この隙きをついて民族主義者によりアルメニア第一共和国が樹立される。
1920年 赤軍がアルメニアを制圧。アルメニア社会主義ソビエト共和国が成立。隣国とともにザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を構成する。
1965年 虐殺50周年記念集会。これを機にアルメニア語やアルメニア文化が容認されるようになる。
1988年 ナゴルノ・カラバフ戦争が発生。
アゼルバイジャン共和国のナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニア人が帰属替えを求める。これを機に民族紛争に発展。ソ連政府はアルメニアに対し冷淡な態度を取る。
1988年 大規模な地震が発生。電力需要の40%を生産するメツァモール原子力発電所が6年半に渡って閉鎖される。
1991年9月 ソ連の崩壊に伴い「アルメニア共和国」として独立。反共産党のレヴォン・テル=ペトロシャンが大統領となる。
1994年5月 アルメニア人勢力(ダシュナグ党)がナゴルノ・カラバフを制圧。アルメニア人側に約6000人、アゼルバイジャン人側に約3万人の死者。周辺国はアルメニアに制裁。
1995年7月 新議会選挙と新憲法の国民投票。
1998年 ペトロシャン大統領が辞任。ナゴルノ・カラバフ出身のロベルト・コチャリャンが後継大統領に選出される。
1999年10月 アルメニア議会銃撃事件。元ダシュナク党員のテロにより首相、国会議長など8名が死亡。
2008年 大統領選挙でセルジ・サルキシャンが選出される。対立候補であったペトロシャン元大統領は、不正を訴え大規模な抗議活動。非常事態宣言が発令される。
2009年10月10日 トルコとの国交成立。ダシュナク党はこれに抗議し政権から離脱。
2015年 憲法改正。大統領権限の大半を首相に移し、議院内閣制を導入する。
2018年
4月17日 サルキシャン大統領、退任に伴い首相に鞍替え。
5月1日 議会で首相を選ぶ選挙。最大野党のニコル・パシニャンが当選するが、与党は承認を拒否。

ということで、ほとんどアルメニアの歴史年表になってしまった。
そういう背景のもとで、今回の首相交代劇がどんな意味を持っているのか、別途稿を起こそうと思う。