ポピュリズムという言い方はやめよう

一部ジャーナリズムで盛んに使い始めたことから、今ではすっかりポピュリズムという言い方が浸透している。

それは社会学的用語としては正しいかも知れない。(それが社会学の弱点であり限界である)

しかし同じ大衆・庶民を基盤とし、その自発性に依拠し、彼らが抱える不満や怒りを代弁している点は似ているが、似ているのはあくまでそこまでである。

政治的スタンスもその最終目標もまったく逆の政治集団を、社会的同質性を根拠にひとくるめにするのは、政治的対決点がどこにあるのかをあいまいにするためのレトリックでしかない。

さらに悪いことはそれが上から目線であり、彼らの要求に対し冷淡で無関心であることの象徴となっている表現だからである。おそらく彼らの目は我々をもポピュリストとして眺めているだろう。

例えば、共産党と公明党・創価学会が底辺層の声を代表すると主張し支持者を奪い合ってきた状況が日本にある。
それをもって「共産党も公明党も貧困層を土台にしたポピュリスト政党だ」と、一絡げにすることは、まともな政治学者にとって自殺行為であると思われる。

ナチスもファシストもみな「社会主義者」を自称した。現在の言葉の使用法からすれば彼らこそ「ポピュリスト」の名にふさわしい。

政治学はさまざまな政治集団の性格を、その目的から規定し分類し評価しなければならない。それが政治学の使命である。

そしていま国民大衆の運動の進歩性を規定するのは、民主主義、平和主義、人権第一主義、立憲主義の4基準である。一言で言えば「リベラル民主派」である。

この4基準のいずれかに反する政治勢力はたとえ民衆に支えられた組織であろうと、反政府的組織であろうと支持することはできない。
社会学的に見て共感する余地があったとしても、政治学的には一線を画さなければならないし、場合によっては対抗関係に立たなければならないのである。

そう得心したとき、ポピュリズムという言葉がいかに民主派を見下して虚しく響くことか…