1.大企業と彼らの政府は「恐慌」には興味がない
リーマン・ショック後の10年を年表にしようと思ったが、とても難しい。ファクトが多すぎて取捨選択が困難である。
当初は金融危機の形をとったが、むしろ「2008年世界恐慌」というべきかも知れない。
だから、年表を作るに際しては戦前の「大恐慌」を念頭に置かなければならない。
あの大恐慌はブラックサーズデーに始まり、ファシズムの世界席巻へと発展し、1945年の枢軸国の無条件降伏をもって終わった。
その間に大量失業と飢餓、労働者の抵抗の増大と不寛容化、国際協定の破棄と国際秩序の崩壊が続いた。金融寡占層とその政府はこれらの動きに策を持たず、そもそも関心がなかった。

2.財務省のノーテンキぶり
いま読んで呆れるのが、財務省が2011年5月18日に発表した「国際金融システム改革の主要課題」というレポートで、およそ危機感がまったく感じられない文章である。
1.透明性の向上、国際的スタンダードの確立
2.金融監督の強化
3.国際的な資本移動への対応
4.安定的な為替相場制度の確立
など8本の課題が列挙されているが、どこが問題か、なぜそれが問題なのかは触れられない。
これが東北大震災の2か月後の財務省の状況である。欧州が金融危機のただ中にあり、アラブで民衆の抗議の声が巻き起こり、世界が羅針盤を失い漂流を始めた時点での財務省の認識段階だ。

前の記事の2つの図で11年5月を眺めてほしい。財政出動は何故か腰砕けに終わり、金利は不況下で高止まりし、要するにポジションがまったく感じられない。

3.国連の認識ははるかに深刻だった
同じ時期、国連に提出された「国際金融システム改革に関する報告書」(スティグリッツ報告 2009年9月)はリーマン・ショック後の世界に対するはるかに厳しい認識を示している。
抄出すると…

第二次大戦後最大の危機であった。
①金融市場の心臓部で発生し、世界に拡散した。
②金融危機として始まり、経済危機、社会危機へと拡散した。
③強者が救われ弱者が切り捨てられ、格差が拡大した。

経済主体の力の「非対称性」の拡大
①情報、技術、資金における圧倒的な格差
②その結果、悪しき「権力の集中」が発生
③ブレトン・ウッズ体制の制度疲労

それは市場原理主義の破綻であった。
①金融機関のガバナンス機能の崩壊
②国際金融組織によるフィードバックの欠如
③誤った政策発動
が被害を拡大した。

スティグリッツは当時を振り返りつつ以下のように述べている(2017.10)
リーマンショックに始まった金融危機・ソブリン危機は、その根底において「過剰生産恐慌」である。恐慌を生み出した原因は市場主義経済にある。
サマーズの「長期停滞論」は半分正しい。「先進国は過剰な設備や貯蓄を抱えており、投資機会が存在しない」というのは正しい。しかし「公共インフラ投資や規制緩和などが必要」というのは間違いだ。なぜなら、設備や貯蓄はそれ自体が過剰ではなく、過小消費がもたらした相対的なものだからである。そして過小消費は、所得格差の拡大により構造的に消費冷却がもたらされたために生じているのである。
標準的な市場経済はもはや不能に陥っている。それが社会にも悪影響を及ぼしている。
市場経済は、それ単独では効率的でもなく、安定したものでもないことが証明された。市場原理主義は、経済上の強者は交通信号を守らなくてもよいという主張にほかならない。(要旨)
これらの発言が資本論の中にあったとしても誰も驚かないだろうと思う。