スティグリッツがビットコインは匿名性が高いのでだめだと言ったそうだ。そうしたらビットコインの相場が見る間に下がってえらいことになっているらしい。
所詮縁なき世界ではあるが、経済学に倫理学を持ち込むのにもなんとなく違和感を感じる。
勉強もしないで言うのもなんだが、紙幣というのはもともと金の代用みたいなものだが、金はまったく匿名の商品であり、「純度X重さ」はどこの国が発行しようと同じはずだ。
汗水流して獲得したお金であろうと、麻薬を売って稼いだ金であろうと金の色に違いはない、まったくユニバーサルなものだ。
ところが現代における貨幣は不換で、その国の信用いかんにより決まる。さらにその信用は為替相場という形で日夜瀬踏みされる。金に比べればフィクションではあるが、逆に色々な規制に熟されて不自由になっている。
そして米ドルが兌換を停止して、世界のほとんどの国が変動相場制になってからは、むしろ為替相場が貨幣の形と働きを規定するようになっている。
であればいっそのこと、国家信用などというものを一切捨てて、相場にすべてを委ねようということになっても不思議はない。
その延長線上にあるのがビットコインではないか。これにより貨幣は匿名性と普遍性を“回復”することになる。
ただしその場合、貨幣の持つ2つの意味が失われる。一つは一定の機関による信用の裏打ちである。もう一つは金が労働により生み出された商品であるのに対し、生産物としての独自性の喪失である。
ただし後者はすでに失われているのだから、いまさら云々すべきものではない。
前者については少し吟味が必要だろうが、一番の問題は信用の裏打ちがなくても持続可能な流通手段となるだろうか。結局はドルという決済手段とどこかでリンクせざるを得ないのではないだろうか。
それは賭場という場所で通用するコインでしかないのだろうと思うが。

現在、問題となっているのはむしろ、取引のたびに常にドル決済を迫られる現在のシステムにあるのではないだろうか。
とくにトランプのような狂人がアメリカの大統領になると、世界の通商・貿易・投資がアメリカの恣意に翻弄されることになる。
その典型がベネズエラで、なんの罪もないのに経済制裁というペナルティーを科され、ドル決済を禁止された。「ドルを持ってこられても、ベネズエラの方とは取引できません。あしからず」という状況が現出されているのだ。同じようなやり方で1年前にアルゼンチンが攻撃され、おかげで政権が転覆されてしまった。
世界で一番米ドルが信頼できるから、みんなが使っているのに、「あんたは気に入らないから使わせません」ということが平気で行われるようになっては困るのだ。
もちろん国際通貨とビットコインとは目的も性格も違う。
しかしビットコインにはドル支配体制に対する風穴という側面もあるのではないか、こんなことも念頭に置きながら、もう少し勉強してみたい。