いま、なにげに教育テレビを見ている。NHKの制作なのか外国から買ったコンテンツなのかよくわからないのだが、AIが進むとホワイトカラー的な仕事がなくなって中間層が貧困化して、社会矛盾が激化するのではないかという番組だ。似たような主張は何度も目にしている。
この主張にはウラがあって、結局は「現状甘受論」と「イノベーションで生き延びろ」とさらなる競争を煽るところに持っていくのだ。
論理の持って行き方は19世紀の産業革命のときと同じだ。基本はジャングルの掟を持ち込む「社会ダーウィン主義」と、これに反対するラダイト(打壊し)という流れの構成になる。AIのところにグローバリゼーションを入れても、金融ビッグバンを入れても後の論理は同じだ。
マルクスはこのような流れに対する批判者として歴史に登場するのだが、その最大の優点は超階級的・超歴史的な視点から生産力論を展開したところにある。
ただしこの生産力理論には2つの異なる基盤がある。一つは「ドイツ・イデオロギー」的な「まず食うことから始めなければならない」という素朴な生産力理論だ。
もう一つは経済学批判序文で展開された徹底的にヘーゲル的な視点、すなわち「消費は欲望の生産である。豊かな欲望こそ社会の生産力だ」に見られる欲望→生産→消費の転換・発展関係だ。
マルクスの理論は常にこの2つの関係を行ったり来たりしながら発展していく。
そしてネオリベに根本的に立ち向かうためには、後者の視点の押し出しが決定的に必要なのだ。
ここはおそらくスティグリッツら有効需要論者とは意見を異にするところがあると思う。大事なのは「需要」ではなく人間的欲望なのであり、欲望の発展こそが人類発展の本質なのだということである。