量子論: 私は何がどのようにわからないのか、それは何が原因なのか? それを知るためにはどこまで遡らなくればならないのか?

一つ分かったことがある。19世紀の急速な科学技術の進歩で、古典的な物理学の議論では説明できない事象が次々と発見されるようになった。

この場合、古典物理学というのはニュートン力学、マクスウェルらの電磁気学、熱力学を三大分野としていた。(天文学や地学はとりあえず別分野として)
熱力学は化学との境界領域であるが、熱放射時の光スペクトル分析、あるいは光電効果と言った物理学的分野が拡大しつつあった。

この光と熱の相関に絡む技術分野の発達が光子、量子という概念上の存在を生み出した。

また20世紀の初頭になると電子が発見され、それが原子構造へと結びついていった。

電子は実在的存在であるが、電子・光子・量子という三姉妹が量子論の幕開けとなっている。

もう一つわかったことがある。これは痛切な感想であるが、私の頭は19世紀半ばの水準で止まっているということである。ニュートン力学そのものの到達点に達していないから、量子論がわからない。

19世紀の物理学の進歩を確認しないと前に進めない。まずマックスウェルの電磁波理論、熱力学の理論、そして光の性質に関する理論がもう少し知っkリト理解されなければならない。
そしてそれらの理論の19世紀前半までの到達、19世紀後半の飛躍的発達、そして、黒体放射の観察と光電効果の発見がもたらした謎、すなわち光エネルギーの強さが振幅に規定されず振動数に規定されるという現象が光屋さんと熱屋さんの双方からもたらされたこと…
これらをじっくり紐解いていかなければならない。

理数系の人は急ぎすぎる。私らはいまだにアキレスと亀のお話にハマっているのだ。

これから先は、佐藤勝彦さんの「量子論を楽しむ本」(PHP文庫)を読みながら、少しづつ“つぶしていく”ことにしようかと思う。