(まだ作りかけです)
化学にとって量子論の出現は深刻だったらしい。量子論は基本的には物理学の学問であるが、化学の根っこを、全面否定と言っても過言でないくらい猛烈に揺るがせた。
ここから化学は自らの根拠を立て直していくわけだが、やはり物理学の分野における量子論の定着と、化学の世界における量子的な物質観の受容は、歴史的に見ていくしかないだろう。


1859 黒体放射のスペクトル:キルヒホフが黒体(black body)を熱し放射線のスペクトルを分析。スペクトルの相が温度のみに依存することを発見。これは今までの光線スペクトルの常識では説明できない。

鉄のかたまりを 熱すると, 温度が低いときは 黒く,1000 ℃ くらいになると赤くなり, 1500 ℃になると白く まぶしく輝く。これをスペクトル分析すると、総エネルギー量の増加とピーク振動数の増加が見られる。

1864 マクスウェル、電磁波理論を提唱。電場と磁場が振動しながら空間を伝わっていくと主張。電磁波の速度が光の速度と同じであることから、両者を同一のものとする。

1877 統計力学の理論: ボルツマンがエントロピーを考察。円ダイアグラム表現を提示。

1887 光電効果の発見: ヘルツは電磁波の発生実験のあいだに、帯電した物体に紫外線を照射すると電荷が失われることを発見した。これは光が電気を生んだからである。のちにアインスタインが光の量子効果によるものであることを証明。

1888 電磁波の実在証明: ヘルツがマックスウェルの電磁波理論を実験的に追認。光が電磁波の一種であることが明らかになる。

電磁波の発見は無線通信への道を拓き、マルコーニによって無線通信技術が確立された。

1895 X線・放射線の発見: レントゲンがプラズマ中の電子ビームの実験中にX線を発見。翌年ベクレルが追試中に放射線を発見。

1896 ゼーマン効果: オランダの物理学者ピーター・ゼーマンは、ナトリウム原子を加熱して発光させ、磁界をかけた。このとき1本だった光スペクトル線が数本に分かれることを発見した。これが「ゼーマン効果」と名付けられた。

1897 電子の発見: J.J.トムソンが原子よりはるかに小さい電子を発見。これにより“原子”が原子核と電子という構造を持つことが明らかになった。

1899 ラザフォード、放射線に二つの種類があることを発見。アルファ線とベータ線と呼ぶ。

1900 量子仮説: プランクが黒体放射のスペクトル強度を測定。プランク定数を用いて数式化した。これを量子仮説と称する。

プランクは黒体放射において、黒体に含まれる振動子のエネルギーが量子化されており、プランク分布を示すと主張。この際振動子が持つエネルギー E は振動子の振動数v の整数倍n に比例する。それは E=nhv と規定され、.比例定数hはプランク定数と呼ばれるようになった。

1902 原子核崩壊の発見: ラザフォード、トリウムが原子核崩壊によりラジウムと気体に変換することを発見。その後ラザフォードは「原子物理学の父」と呼ばれる。

1902 レーナルトの光電効果に関する実験: 1.効果は即時である、2.振動数の大きな光ほど飛び出す電子が増え、3.ある振動数以下の光では電子が飛び出さない、という粒子論を支持する所見。

1905 この年アインシュタインは1.特殊相対性理論、2.光量子理論、3.質量とエネルギーの等価性、4.ブラゥン運動の説明を次々と発表。「奇跡の年」と呼ばれる。

1905 光量子仮説: アインシュタイン、量子仮説に基づき
光電効果を光量子で説明。光子 1 個が持つエネルギーε はプランク定数h と光の振動数の積νに等しい。

1905 ブラウン運動の解明: アインシュタインが量子仮説に基づき説明。

1905 質量とエネルギーの等価性: アインシュタインが理論的に等価性を導出した。

1909 アインシュタインが光の粒子と波の二重性を提唱。

1911 原子核の発見: ラザフォードがアルファー線を金箔に照射する実験を行った。このとき透過しないで跳ね返ってくるものを発見。原子核の存在を提唱した。ラザフォードの原子模型と呼ばれる。

1912 ヘスが宇宙線を発見。

1912 ポアンカレがエネルギー量子の本質的性質にかかわる数学的議論を発表

1913 電気素量の決定: ミリカンが油滴実験により、電気素量を測定。基本単位は“e”と名付けられる。

1913 ボーアの原子モデルが提示される。水素のスペクトルについてのリュードベリの公式を説明したもの。原子の定常状態に注目が集まる。

1919 陽子の発見: ラザフォードはα粒子を窒素の原子核に衝突させた。このとき陽子が飛び出してくることを確認。この結果1個の陽子を原子核とする元素、すなわち水素が生成された。

1922 電子の2種の磁気作用の発見: シュテルン・ゲルナッハは磁界中を銀原子が通過するとき、上下の2方向に曲げられることを発見。電子に2通りの磁気作用があることが分かる。

1924 物質波の概念の提唱: ド・ブロイが物質は波と考えることもできると提唱。アインシュタインの光量子仮説と特殊相対論を発展させたもの。

1924 電子のスピンを発見: パウリが2種類のスピンがあることを発見。さらに電子の1つの軌道には同一スピンの電子は1個しか入れないことも発見する(パウリの排他律)

1925 行列力学の開発: ハイゼンベルグ、ボーアの提示した原子の定常状態を行列式で表現することに成功。量子力学の基本方程式となる。

1926 波動力学の開発: シュレディンガーが物質波の考え方を発展させ、波動方程式を発表。量子力学のもうひとつの基本方程式となる。エネルギーに最小値があり、エネルギーが小さいときは飛び飛びの値を取ることを明らかにする。

1927 不確定性関係の理論: ハイゼンベルグにより、粒子の位置と運動量を同時に決定することができないことが示される。同時決定ができなくても、それぞれの物理量の間には不確定性関係が生まれ、それは交換関係によって規定される。

1927 アインシュタイン、不確定性原理に対する不同意を表明。

1928 量子状態を数学的に表現するディラック方程式が明らかにされる。相対性理論と量子論が融合される。

1930 ディラックが中心となり、「量子力学の諸原理」が出版される。ディラックは相対性理論の4次元化により、反粒子の存在を予測。その後、反陽子が確認され量子力学が確立する。

1930 ニュートリノの発見: パウリがベータ崩壊によるニュートリノ放出を提案。(当初はこちらが中性子と呼ばれた)

1931 ルスカが電子顕微鏡を発明。ローレンスがサイクロトロンを発明。

1932 中性子の発見: チャドウィクが電荷を持たない中性子を発見し、原子核のモデルが確立する。中性子の存在はフェルミが予想していた。

1932 アンダーソンが陽電子の存在を実証。(ニュートリノの年表を参照のこと)

1933 フェルミ、チャドウィックの中性子の発見を受けて、パウリの提案した「中性子」を「ニュートリノ」と改名。

1933 核連鎖反応の理論: レオ・シラードが提唱。

1933 ナチが政権を獲得し、ユダヤ人への圧迫を強める。

1935 中間子の存在の予言: 湯川秀樹、原子核の中に陽子を閉じ込める力の存在を提唱する。粒子の大きさを電子の約200倍と推定。パイ中間子と名付けられる。

1936 陽電子を証明したアンダーソンがミュー粒子を発見。

1938 核分裂反応の観察:  ハーンとシュトラスマン、ウランに中性子を衝突させ、バリウムが生じることを発見。

1939 核分裂反応を確認したフリッシュとパイエルス、核兵器の実現可能性を報告。

1940 パウリがフェルミ粒子のスピンを1/2整数とする定理を確認。

1940 第二次世界大戦が始まる。フェルミの活動するコペンハーゲンもドイツに占領される。

1947 くりこみ理論の発表: 朝永振一郎が「場の量子論」における計算方法を確立。クーロン力は質量ゼロのフォトンを交換することによって生ずると説明。