アイヌ・エミシ歴史年表 補遺分

すこし雑然とした資料が溜まったので、ホームページの年表に整頓することにする。

増補分だけとりあえず並べておく。

1.違星北斗と“アイヌ”

まず、余市生まれの夭折文学者である違星北斗の文章の引用。

「アイヌ! とただ一言が何よりの侮辱となって忿怒に燃ゆ。
…耳朶を破って心臓に高鳴る言葉が“アイヌ”である。言葉どころか“アイヌ”と書かれた文字にさえハッと驚いて見とがめる」 違星北斗文集『コタン』

アイヌという言葉をわたしは躊躇なく使っているが、これは昭和40年ころから、アイヌ人みずからがこの呼称を積極的に用いるようになってからである。それまでアイヌ人の団体はみずからを“ウタリ”と称していた。

その頃のテレビドラマで『コタンの口笛』という番組があった。民族差別を背景にした悲恋の物語だったように記憶している。題名がまさに隠喩で、現在ならなんの躊躇もなく『アイヌの口笛』としていただろう。

“アイヌ”は声を潜めて使う言葉だった。

わたしは学生時代に何年か穂別のアイヌ人集落に地域活動に入ったことがある。
若手農民は『アイヌ、アイヌ』と意識的に言葉を発していたが、多くの住民は寡黙であった。小学生はあんなにも無邪気なのに中学3年になると突然寡黙になる。

若い世代の人がアイヌ文化に係る場合は、そのことは念頭に置いておいたほうが良いだろう。


2.アイヌと農業の問題はよく分からない

基本的には狩猟と漁猟で生計を立てていたとされるが、一方では畑作・定住もかなりすすんでいたとされる。まあ両方とも正しいのだろうが、もう少し定量的な評価が欲しい。時代的・地域的な差も明らかにしないと、言いっぱなしになる。

現在北海道に暮らしている人間として、どうして農業ができなかったのかが不思議である。

たしかに北海道の冬の寒さは格別である。しかし夏の日射しが農業を拒否しているようにはとても思えない。何年かに1回の冷害は覚悟せざるを得ないだろうが、芋や麦などの雑穀を混裁することでかなりリスクはカバーできるはずだ。

アジアでもヨーロッパでもそうやって農業の北限は拡大してきたはずなのだが。


3.アイヌが農業に向かわなかったのは、人口圧がかからなかったからではないか

21世紀は人類の人口増にストップがかかる世紀になるかもしれない。

少子・高齢化と言うが、本質は少子化である。その結果として高齢化がもたらされるが、それは一刻の逆転現象である。やがて全体的な人口減となって終わる。

話を戻す。人口増は食料増を必要とする。土地資源は有限であるから、食料増は土地の生産性増加を除いてありえない。

したがって民族が繁栄するときそれは土地への定着と農耕・牧畜の発展を前提とする。

どうもどちらが原因でどちらが結果かはっきりしないのだが、アイヌ民族はそもそも衰退から滅亡への動きをたどっていたのではないか。

それも和人の冷酷非道な収奪の犠牲と言うよりは、もう少し内発的な原因があるのではないかと思えてくる。

10世紀から11世紀にかけてアイヌは一番勢いがよく、北韓道からオホーツク人を駆逐し、さらに樺太まで進出し、間宮海峡を越えて蒙古=元帝国と干戈を交えた。

それを裏付けるだけの大規模な集落遺跡が北海道宗谷郡猿払村やオホーツク海岸沿いに見つかっている。

それが、何らかの原因で凋落傾向に入った。人口は自然減を繰り返すから農業をやる必然性は失われる。

という図式が描かれるかも知れない。

問題はそれが病気や災害などによる自然減なのか、出稼ぎが故郷に戻るように青森や秋田に移っていったものなのかだ。実はどうもそんな気がする。

これまでのDNAに関する研究成果をまとめると次のように言える。

1.奥羽地方の原日本人は渡来人と縄文人のハーフだ。

2.アイヌ人は縄文人とオホーツク人のハーフだ。ただしこれは特殊なハーフで、基本的には男性が縄文人で女性がオホーツク人だ。奥羽人にはこのような男女差は見当たらない。

1.2.から言えるのは、

1.オホーツク人の住む北海道に縄文人がやってきて征服した。

2.オホーツク人は駆逐されたが、女性の一部は縄文人と結ばれ、残留した。

ユーカラではしばしばヤウンクル(内陸の人)とレブンクル(沖の人)の戦いが描かれる。ヤウンクルはレブンクルに戦いを挑み、勝利の暁には女性を引き連れて凱旋した。

3.やがて縄文人征服者の多くは奥羽に戻り、オホーツク人と結婚し、現地に生活基盤を形成したものが北海道に残った。

ただしこれは江戸時代中期までの話で、コシャマインの戦いあたりを境に、和人がアイヌの生活基盤をメチャクチャにしていく歴史が始まる。

という感じで見ることはできないだろうか。

私は長いことラテンアメリカの歴史を勉強してきたが、先住民が急速に絶滅していく経過を、白人の直接的な虐待・虐殺にもとめる議論は「黒い伝説」と呼ばれ、いまや否定されている。

ヒューマンな立場は歴史を学ぶ上で必須のものであるが、それが非科学的な独断であってはならないこともまた事実である。

712 出羽国が成立。渡島エミシも管轄下におかれる。

801 類聚三代格、出羽狄との毛皮取替を禁じる。

878 日本三代実録で出羽秋田の俘囚大反乱「元慶の乱」

879年1月 渡島の夷首103人が同族3千人を率い渡り来る。

950 岩手郡が設置される。井澤郡以北が奥6郡として一括されエミシの族長である安倍氏が郡長に任命される。これより奥はエミシの地として残される。

800 仙北三郡(雄勝、平鹿、山本)が成立。俘囚主の清原氏に委ねられる。


前九年・後三年の役を通じ、清原・安倍氏の衰退。藤原による奥羽統一。エミシの居住地は津軽北部を除き消滅。