「女性は土俵から下りてください」の真相
2018年04月11日 「見殺しの強制」は犯罪行為そのもの もご参照ください
とにかくまずは事実収集だ。
昨日4日、京都府舞鶴市で大相撲の巡業が行われた。挨拶に立った多々見良三・舞鶴市長が土俵上で倒れた。

その場に居合わせた有志の人々が土俵上に駆け上って救命措置を行った。その中には女性も含まれていた。これに対しアナウンスを担当する行司が「女性は土俵から下りてください」と退去するよう何回も求めた。さらに市長が運び出された直後、土俵には大量の塩が撒かれた。
BuzzFeed News、では時系列にまとめられている。

  1. 多々見市長が土俵に上がり、挨拶を始めたが呂律が回っていない。
  2. 途中でふらつき、突然倒れる。関係者らしき男性たちが多々見市長に駆け寄る。
  3. 1人の女性が土俵に上がり、男性を押しのけ心臓マッサージを始める。別の女性も直ちに尾き、ペアーで蘇生を始める。続いて別の女性2人も土俵に上がり、多々見市長の駆け寄る。
  4. 「女性の方は土俵から降りてください」とのアナウンスが、繰り返し流れる。
  5. 救急隊員の男性たちが土俵に到着。蘇生作業を引き継ぐ。女性たちは土俵から降りる。
  6. 多々見市長が担架で運ばれる。この後土俵に大量の塩が撒かれる。
ANNニュース(You Tube)にこれらすべてが映像として記録されている。
ということで、こうやって記事を書いているだけでもアドレナリンが吹き出してくる。
これは女性に対する蔑視ではない。「生命の尊厳」に対する蔑視であり、人間の生命に対する蔑視なのだ。
女性差別というのではない。「伝統」の名による恣意的な差別なのだ。たまたま差別の対象が女性であったに過ぎない。同じ論理が例えば部落民だったら、黒人だったら、朝鮮人だったら、共産党だったらどうだったんだろうか。すべて「伝統」の名において許されるのだろうか。
その「伝統」というのは差別の伝統でもあり、「いのちは鴻毛より軽し」の人命使い捨ての伝統でもある。
立川病院の三田村秀雄院長のセリフが良い。
伝統と言っている場面ではない。伝統が命を救うことはありえない。命を救うためにできることは100%やらないといけない。それを邪魔するようなことは決してあってはいけない。
三田村さんの発言は正確で的を得ている。しかし私はそれでは物足りない。これは命の尊厳に対するあからさまな蔑視であり、女性よりもむしろ医療従事者にとって腹立たしい事件だ。
これはイラクやシリアで救急車に発砲するイスラム原理派と同じ行いだ。この行司はどう考えても救命活動を妨害している。不作為の刑事罰に相当する。「伝統」に対する意見の違いではない。強く言えば殺人幇助罪だ。そのまま手錠をはめられて警察に直行だ。

メディアの対応はあまりにも遅くあまりにも生ぬるい。少なくとも、メディアは「行司」の名を公表すべきだ。その瞬間においてこの「行司」に人権はない。最低でも角界に残る資格はない。スポーツの世界からは永久追放だ。相撲がスポーツ以下のクソ社会であるなら話は別だが。

ただしこれだけではあまりにも情報不足だ。相撲協会は当事者として情報を提示すべきだ。もしそれをしないのなら、行事の責任はすべて相撲協会の責任となる。

協会理事長は即刻辞任しなければならないだろうが、それ以前にNHKなどメディアも大相撲関連の報道を即刻中止しなければならない。

客の中から「女性を土俵に乗せるな」とのクレームが付いたために行司が対応したと言うが、この「強いものへのへつらい」も相撲の美しき伝統なのだろうか。それは相撲を国技にしてはならないことの証ではないか。

さらに言えばクレームをつけた「客」も名乗りを上げるべきではある。もし市長が死んでいれば、みずからの主張した「道義」について、「道義」的責任を真っ先に担うべきであるからだ。「相撲道の伝統のために死ね」と煽った以上、あなたは知らんぷりをしてはいけない。
眼の前に死にかけた人がいるのに、みずからは助けようともせずに、行司に「女を土俵に上げるな」と叫ぶ心情のおぞましさ、まさに人間のクズだ。人間の顔をした獣だ。私はそう思う。

「伝統のために死ね」と叫ぶ心は、「お国のために死ね」という心と通じているのではないだろうか。
私たちは「舞鶴」とか「興安丸」という言葉を聞いただけでも、引揚者の名が読み上げられるラジオが耳に響き、なにか胸がキュンとなる。それは、やつらに騙され、無数のいのちが失われ、救われ、平和といのちの大切さを教えてくれた言葉だ。
これを機にもう一度、「舞鶴」が生命の原点となってほしいものだと思う。