福島に伝わる大多鬼丸の反乱の伝説が、実はなかなか面白い。
史実としてはかなり怪しいのであるが、地元に「鬼」である大多鬼丸を支持する言い伝えが根強く残っていて、むしろ大和朝廷側を圧倒しているのである。
東北の征服者としての田村麻呂伝説と言うのは各地に残されていて、ねぶた祭のお御輿も田村麻呂が定番ではあるが、田村麻呂にやられた野蛮人の末裔こそが東北人なのだから、心の底では頷けないものがあるのであろう。
大多鬼丸伝説も田村麻呂に根っこでは収斂できない部分があってそれがいろいろな形で残っているのだろうと思う。
その典型が、実は、謡曲「田村」ではないかと思う。とりあえず書いておく。
田村麻呂に引きずられて時代設定が狂うというのは、実は謡曲「田村」(古浄瑠璃)そのものでもある。ここでは「日本を覆さんが為 数千の眷属、引き具し」伊勢の鈴鹿山に天下った大竹丸と、坂上田村麻呂の死闘が繰り広げられる。ここでは蝦夷の悪路王大竹丸が、異形異類の眷属の長として鈴鹿に登場するのである。だから大多鬼丸が鬼穴で死なずに紀州に逃げたという荒唐無稽も登場するのであろう。
実はこの「田村」といいう謡曲、なかなか面白いのである。
蝦夷の悪路王大竹丸は、「面の色は極めて白く、髪は猩々の血にてもみ朱を染めたる如くにて、牙は銀の鉾を植え並べたるに等しく…」と表現されている。いわば白人系で茶髪なのだ。
大竹丸はなかなか狡猾である。自分が表に立つのではなく、田村麻呂に並ぶと噂される武将惟憲を前面にたて、田村麻呂との闘いを朝廷軍内部の混乱に仕立てようとするのだ。
田村麻呂と大竹丸との対話はじつに意味深長である。田村麻呂が、「愚かなり、愚かなり、人の国へ、理不尽に乱れ入り、悪逆をなす……」と大竹丸を非難するのに対し、大竹丸が返して言うことには、
「人の国とは、心得ず、日本は我々が国なるに」なのに、天照る神が大竹丸らとの誓約を破り、この国に仏法を盛んに広めた。それがゆえに、「国を召し返さん」としておのれの臣下である眷属を都に遣わしたのだと。
その理非もさる事ながら、大和朝廷の総司令官を前に対等に張り合う大竹丸の姿勢がなんとも小気味よく清々しいではないか。あまつさえ「日本は我々が国なるに」というセリフはまさに相手(大和)を売国奴扱いしている。これぞ今まさに経団連と真向対決する福島人の魂ではないか。