カントとヘーゲルを繋ぐ橋がだいぶ見えてきた。
とくにシェリングの果たした自然哲学での理論的貢献がヒトカタならぬものであったことが実感された。
ただ、その多くがひらめきによるものであり、理論的な詰めが甘かったから、手柄をヘーゲルに横取りされてしまった感がある。
それでも、これまでヘーゲルの弁証法哲学の成果と思い込んでいたことの多くが、実はシェリングの直感に基づいていたということが分かった。
翻って、カントに遡行して行くと、カントが必死になって解き明かそうとしたことの核心が見えてくる。
それは「物自体」概念なのではないだろうか。
以下は作業仮説であって、学習する中でまったく違ったものになるかも知れないが、「予想屋」の工場と思っていてください。
1.カントはライプニッツを批判し、デカルトとヒュームを取り入れて理論を構築したと物の本には書いてある。
これは多分ウソだろう。
理論構築の仕方はどう見てもライプニッツ・ヴォルフのそれだ。じゃがいもと酢キャベツで出来上がっている。
2.モナドを起点に構築されたライプニッツ哲学は、不可知論と主観論によって危機にさらされた。認識論・現象論のダイナミックな過程を念頭に置かなければ体系そのものが崩壊する。
3.そこで一方では「物自体」概念を作って、外界を不可知のものとして遮断し、一方では「理性」概念を作って主観を伴う知性を主体とすることで、物自体への接近を可能にするという道を作った。
というのがあらあらの流れではないかと想像している。