3. シェリング自然哲学からみた人間と自然との関係
「力動的過程あるいは自然学の諸カテゴリーの普遍的演繹」(1800年)より

①可視化の過程
自我はその能動性を、産物を通じて可視的にする。可視化するというのは、時間軸を取り去って3次元の静的世界に構造化することである。
これに対し自然は、その能動性を、産物を通じて可視的にしている。だから自我はそれを構造的に認識することが可能となるのである。
認識の一歩としての視認は、可視的対象を挟んだ自然と主体の分離→結合過程である。
シェリングはその後で「自然の限界において観念論が出現する」と結論する。しかしそれは可視化できない自然が自我の外側に広がっていることを表現しているに過ぎない。それはむしろ実在論であって、それが観念においてしか捉えられないということである。
確率的存在の世界は非在ではない。そこでは物質はエネルギーとして(確率論的に)存在している。
だから、シェリングの立場は、骨の髄まで紛れもなく実在論だ。
②自然過程の頂点における人間の出現
シェリングにおいては、自然過程がその頂点において人間を生み出したのである。
“主体としての自然”は、自己を見るという潜勢的志向を実現するために、自分の有機的部分を人間理性として分離したのである。
ところが超越論的観念論(フィヒテ)は自己意識において成立する“自我”を絶対化する。その場合には“自我”の存立の根拠、すなわち自らと自然との連関が忘却されてしまう。
人間は意識的に「自然から身をもぎ離」そうとする。しかしそれは根底的には「自然自身の志向」なのである。
そこを押さえずに、人間と世界との現実的連関を分断するような観念論は、結局のところ主観的なものに転落する。その絶対性も見せかけのもの、「仮象」となる。
③フィヒテの反発
フィヒテは1801年5月にでシェリング宛に手紙を書いた。この中で「感性の世界すなわち自然は、意識というこの小さな領域の内に存在する」ものでしかないと主張した。
その後フィヒテは極端な汎生命論まで行き着く(1806 年の通俗講義『学者の本質』第二講義)
フィヒテの結論は「絶対的なものは生命であり、生命は絶対的なものである」と語られる。そこでは自然は「死んで自己のうちに閉じこめられ硬直したもの」としてのみ登場する。
自然は、人間的生命を制限し脅かし束縛するものであり、人間的生命によって「廃棄されるべきもの」である。
これに対しシェリングはフィヒテを切り捨てる。
理性的生命による自然の賦活とは、実際は自然の殺害にほかならない。
そこからは「全面的な精神の死」が帰結せざるをえない。
④自然哲学の営み
この節には名文句が並ぶ。“てにをは”をいじるだけでそのまま転載する。
自然哲学は、自然全体がその潜勢的指向を実現して意識にまで高まってくる際の諸段階を跡づける。それは諸段階に残された“記念碑”をたどる作業である。
理性はいっさいの自己創造者としてみずからを誇るが、自分の後には、みずからの存立根拠としての有機体を引きずっている。
人間は自然存在者であるからこそ、主体としての自然そのものから主体としての力を付与され、主体でありうる。主体として、自然にかかわり、自然との相互作用の中で生き、活動できる。


ちょっと感想
えらい難しい内容だが、言葉の使い方にある程度慣れればきわめて説得力のある議論だ。
一番共感するのは、現代物理学や生物学の到達水準によく照合していることだ。

これまでカントがフィヒテからヘーゲルへ発展したと言うことで説明されてきた。
とくにマルクス主義哲学の分野ではそれが主流だった。
ところが勉強してみると、なかなか状況はカンタンではない。それどころか私にはカント→シェリング→ヘーゲルと書きたくなる内容だ。
もう一つは、観念論対唯物論という図式がずっと強調されてきたが、果たしてそうなのだろうかということだ。
むしろ実在論対経験論というか主観論の対抗という側面が主要なのではないかと思う。

シェリングにおける3つの発展
非常に雑駁な感想だが、シェリングには3つの哲学上の発展があったと思う。
それは、自然を自己の根源に据える実在的唯物論の視点、自然と自己を発展の過程のうちにとらえる弁証法の視点、カントの「物自体」の生き生きとした復権と自己との一体化である。
カントが不十分ながらも「物自体」を定式化することによって、宗教と科学精神を分けた。理神論的な曖昧さを残そつつも実在論に向かって大きく踏み出した。
それをフィヒテが、実践概念を持ち込むことによって、ふたたび主観論に引き戻した。
ただしフィヒテの主体論はカントの静的二元論に動きを持ち込み、発展の概念をもたらした。
そしてシェリングがカント的世界にコペルニクス的転回をもたらした。天体が動くのではなく私と私を乗せた大地こそが回転しているのである。
それは、ある意味でカントの「物自体」の復権でもあった。しかも生き生きとした、みずから発展するものとしての自然の復権でもあった。