Reports of General MacArthur

MACARTHUR IN JAPAN:  THE OCCUPATION: MILITARY PHASE

という膨大なレポートがあって、そのサプリメントに見たことのない写真が沢山載っている。「終戦」ではなく「敗戦」であることがよく分かる。

すこし紹介しておきたい。(著作権についてクレームがあれば直ちに取り下げます

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マニラでの降伏交渉: 日本代表団がニコルス・フィールドに到着(8月19日)

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交渉開始前。G-2の通訳との打ち合わせ。

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降伏交渉: 左からCapt. H. Yoshida, Capt. T. Ohmae, Rear Adm. I. Yokoyama, Lt. Gen. T. Kawabe, Mr. Ko. Okazaki

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厚木飛行場に到着した先発隊。日本側はLt. Gen. Seizo Arisue

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ついで、アイケルバーガー大将(右)が到着。中央のヘルメット姿は第11空挺師団のMaj. Gen. J. M. Swing

 
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最後にマッカーサーが到着しアイケルバーガーと挨拶。

 

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ミズーリ号甲板上で降伏文書の調印式。マッカーサーはマイクの後ろに立っていた。
 
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米大使館前庭にて米国国旗の公式掲揚。マッカーサー、アイケルバーガーの他Maj. Gen. Wm. C. Chase、Admiral Wm. F. Halseyら

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呉軍港を視察するアイケルバーガー将軍。左は英連邦軍のロバートソン将軍

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オーストラリア儀仗兵を閲兵するアイケルバーガー。呉には英連邦軍(BCOF)の本部があったらしい。

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満州の捕虜収容所から解放されたウェインライト将軍(左)とパーシバル将軍(右)

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軍捕虜収容所への落下傘による物資補給。日本人が回収し荷降ろししている。8月30日 東京・大森


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二人の米国人捕虜。三年以上にわたり大森収容所に収容されていた。

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日本軍捕虜情報局の田村中将から説明を受ける軍と国際赤十字関係者

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飛行機の下にドラム缶を置き、焼却準備中(京都)

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戦車はダイナマイトで破壊されてからスクラップに回された。

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大阪府高槻の地下弾薬庫に保管された砲弾

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 日本第58軍の武器はLSMに積み込まれ海上投棄された(45年10月)


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佐世保の乾ドックで解体中の軽巡洋艦「伊吹」 47年3月
改鈴谷型重巡洋艦の1番艦として起工され、建造中に航空母艦へ変更されたが、未完成のまま終戦を迎え、1946年(昭和21年)に解体処分された(ウィキペディア)

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ラバウルから戦友の遺骨を持ち帰り、遺族の元へお返しする

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武装解除と帰国についての連合国指示を受ける日本軍司令官

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横須賀駅から故郷へ

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民間人の帰国 博多受け入れセンター


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禁制品、武器などの持ち物検査

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ソ連地区からの帰国と家族の歓迎

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日本人帰還者の乗船

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大森の松朝食堂に入る帰還者



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帰還船に乗る子どもたち

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ソ連からの帰還者が家族と再会

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家、そして新たな暮らし

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天皇の人間宣言と巡幸

Plate No. 68, Modernized Civil Education, March 1946
アメリカの教育視察団による現地調査。

Plate No. 68, Modernized Civil Education, March 1946
市民教育図書館で自習する若者たち

Plate No. 69, Control of Medical Supplies and Distribution of Army Rations
日本軍の隠匿医薬品がMPにより摘発された。これらは厚生・救恤局に分配された。

Plate No. 69, Control of Medical Supplies and Distribution of Army Rations
アメリカ軍の余剰食料が、枯渇した日本の資源を補うために分配された

Plate No. 79, Police Training Program, 1948
全国自治警察大学校が東京に置かれ講義が施された