1.ムハンマドの登場
まぁ、とりあえずそれ以上さかのぼる必要もあるまい。
2015年1月に、前国王アブドラ国王が亡くなり、皇太子サルマンが国王に即位した。このときすでに80歳。イブン・サウドのおそらく最後の息子となるであろう。このあとは孫の世代に移っていく。
このとき、息子のムハンマドが国防大臣兼副皇太子に就任している。弱冠29歳である。
このあとムハンマドが父国王の片腕として辣腕を振るい始める。それと同時にサウジがどんどん過激化していくことになるのである。
2.イエーメンへの軍事介入
2015年3月にとんでもない事態が発生する。国防相ムハンマドがイエメンへの軍事介入を決定するのである。イエメン情勢については別の記事に書いているので、そちらを参照していただきたい。ムハンマドの世界戦略は反イランのみでそれしか眼中にない。しかも彼の反イランは反シーア派であってシーア派であればアラブ人であろうとペルシア人であろうとすべて敵である。
いずれにしてもサウジが直接武力侵攻を開始するというのは、まことに青天の霹靂であった。
敵はクーデターにより大統領を追い出したシーア派アラブ人のフーシー派であり、これを湾岸諸国の連合軍が攻撃した。
この戦争は現在に至るも続いており、内戦の結果、イエメン国民がきわめて深刻な危機に陥っていることはよく知られている。
3.イランとの国交断絶
2016年1月、その戦争のさなか、サウジはアメリカとイランとの核合意を不満とし、イランとの国交断絶に打って出た。イエメン侵攻もそうだが、イランとの国交断絶もほとんど理屈がない。国交断絶しなければならないほどの具体的事実がない。とにかく無茶苦茶なのがムハンマドの特徴である。
4.トランプの大統領就任とクシュナーの着任
その後は、オバマ政権がサウジのクレームを受け付けず対イラン交渉を進めたこともあって、派手な動きはなかった。しかしトランプが大統領に就任するとムハンマドはこの好機を決して逃さなかった。
両者を結びつけたのはトランプの娘婿である。中東和平問題を担当するジャレッド・クシュナー大統領上級顧問(トランプ大統領の娘婿)が、秘密裏に何度もサウジに行き来し、トランプ訪問への動きを取り仕切った。
5.トランプのサウジ訪問と支持確認
2017年5月20日、トランプ大統領がサウジアラビアを訪問した。米国はサウジに1100億ドル(約12兆円)相当の武器を輸出することで合意した。
サウジはトランプ訪問に合わせ、スンニ派アラブ諸国を中心に55ヶ国の首脳を集めた「米アラブ・イスラム・サミット」を開催し、米国との友好、中東における盟主ぶりをアピールした。
この功績を引っさげて、ムハンマドが皇太子に昇格した。ムハンマドは国防大臣に加え皇太子となり、さらに「ビジョン2030」という行政・経済改革計画を発案し、最高責任者となる。
すこしさかのぼるが、3月、サルマーン国王が訪日し「日・サウジ・ビジョン2030」が策定されたのは記憶に新しい。このビジョンこそはまさにムハンマドの策定したものであった。
6.カタールを村八分に
これでますます図に乗ったムハンマドは、カタールの村八分工作に打って出る。
5月24日に国営カタール通信がハッカー攻撃を受け、偽ニュースが流された。その中で、カタールの国家元首タミム首長が「アラブ諸国にはイランを敵視する根拠がない」と発言した。
カタールにとってはまったく寝耳に水のニュースだ。その後の報道では隣国UAE(アラブ首長国連邦)の謀略機関がサイトをハッキングして、フェイクニュースを流したのではないかとされている。
カタールは秋田県の面積で、人口220万人の10%超がカタール人で、残りは外国人労働者。世界有数の天然ガス油田を持ち、日本も東北大震災のあとこの国の天然ガスなしには生きていけなかった。国民1人あたり所得は世界一だ。
日本人にとっては首都ドーハの名前が、93年の「ドーハの悲劇」の記憶とともに焼き付けられている。しかし国際的には通信社アルジャジーラのほうがはるかに有名で、NHKも衛星放送で配信している。サウジがいちゃもんを付けてきたのもおそらくアルジャジーラが目障りなのが最大の理由ではなかろうかと思われる。
このいちゃもんが周到に準備されていたことは間違いないようだ。
わずか1週間後にはサウジ、UAE、バーレーン、エジプトのアラブ4ヶ国がカタールとの国交断絶を宣言。国境封鎖と空域封鎖を実施した。これにアラブ域外のいくつかの国が同調した。
これもテロリスト組織との関係を禁じた「リャド合意」違反という理屈はついていたものの、その罰の重さに比べればいかにもとってつけたふうで、ほとんど問答無用のものだった。
リャド合意というのは14年に湾岸協力会議(GCC)諸国が合意したもので、反体制派やテロ組織を支援しないことを約束したものだ。ただしイランがテロリスト国家だという共通認識はない。
UAEは、同国に滞在するカタール国民に14日以内の退去を求める。さらに航空路の閉鎖、領空通過の禁止を打ち出した。
カタールは食糧をイランから緊急輸入する一方、UAEへの天然ガス供給を停止する報復措置の検討に入った。
カタールはアメリカにとって貴重な同盟国。軍事基地も置いているから、このような事態は好ましくない。外交官や軍関係者は相次いで懸念を表明したが、トランプ本人がサウジの立場を支持する発言を繰り返すから困ってしまった。
ウソか本当かは知らないが、「クシュナーがカタールの有力者に5億ドルの融資を依頼、カタール側がこれを拒んだことが一因」(英フィナンシャル・タイムズ紙)との報道もある。
かくするうちにテヘランでも同時多発テロが発生した。イラン政府は、5人の実行犯は、サウジアラビアとつながりがあるISのメンバーだったと主張。
とにかくやることが強引だ。
7.カタールは干渉を拒否
6月21日、調停に入ったティラーソン国務長官にもなぜこれほどまでに挑発をかけるのかが飲み込めない。各国がカタールに対する具体的な抗議内容を明らかにするようもとめた。これに対して出されたのがサウジらアラブ4ヶ国による13か条要求。アルジャジーラの閉鎖、トルコ軍基地の閉鎖、イランとの外交関係の縮小、テロ組織との関係断絶などが提示された。結局のところアルジャジーラの閉鎖だ。
しかしそれはとうてい飲めるものではない。これを飲まされるようならばアメリカも困った立場に立たされるだろう。
7月3日、カタールは仲介役のクウェートに回答書を提出。実質的に要求を拒否した。結局、湾岸諸国も次の制裁までは踏み込めないまま膠着状態に入ってしまった。
その後ティラーソンが湾岸諸国を歴訪し、カタール「封鎖」を解除するよう求めた。これに応じ9月9日にカタールのタミーム首長とサウジのムハンマド皇太子が会談を行うが非難の応酬に終わる。
イエメン問題に続いてカタール問題も未解決のまま、いまだに尾を引いている。にも関わらずムハンマドはクシュナーと組んで次々に揉め事を起こし続ける。
8.反イランのためにはイスラエルとも組む
9月にムハンマド皇太子がイスラエルを極秘訪問した。これはエルサレム・ポスト報道で非公式に明らかにされている。これと時を同じくしてクシュナーがサウジを訪問し、首脳クラスと4日間にわたる協議を続けている。
10月にはトランプがイラン新戦略を発表した。この中でイラン核合意に対しより強硬な姿勢で臨むことが打ち出された。この中でアメリカ、サウジ、イスラエルの三国がどういう取引をしたのか。非常に気になるが、おそらくエルサレムの首都宣言とレバノンのヒズボラの扱いで合意ができたのではないか。
11月にはムハンマドがパレスチナ自治政府のアッバス議長と会談。「極めてイスラエル寄りの和平案をのむよう迫った」(ニューヨークタイムス)とされる。
この結果、12月6日トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と宣言するに至ったのである。パレスチナ人民の英雄的な抵抗にもかかわらず、多くのアラブ諸国は沈黙を守った。サウジアラビアからは形式的な非難声明が出されるに留まる。
9.レバノン首相監禁事件
11月4日、ムハンマド皇太子の率いる『反腐敗最高委員会』、11人の王族を含む約50人を“汚職”で逮捕。その後、拘束者は200人以上とされる。逮捕者の一人はアブドラ前国王の息子で後継候補の1人だったミテブ国家警備隊長だった。
同じ日サウジ滞在中のレバノンのサード・ハリリ首相も巻き添えを食った。ハリリはサウジとの二重国籍を所有しており、おそらく逮捕された誰かにつながっていた人物であろう。これも理屈なんかどうでもよくてとにかく捕まえてしまえという話なのだろうと思う。
ハリリはサウジアラビアで無理やり辞任を表明させられる。この辞任会見でハリリは、「ヒズボラがレバノンを不安定化させている」と主張、「暗殺される可能性がある」と語ったが、結局のところ意味不明の釈明に終わった。
レバノンのアウン大統領は、サウジアラビアがハリリ氏を自身の意志に反して国内に留め置いていると非難。サウジ政府とハリリ氏は否定したが、それにしてもメチャクチャである。
サウジ政府はレバノンに滞在するサウジ市民に対し、国外に即時退去するよう命令。同時に「サウジへの攻撃を止めよ」と警告した。(一体どちらが攻撃しているのか?)
1週間が過ぎ、さすがにサウジへの批判も強まった。窮地に陥ったサウジにフランスが助け舟を出した。9日にマクロン仏大統領がサウジに入り交渉開始。21日にはハリリが解放され、ベイルートに帰還した。ハリリは辞意を正式に撤回しいまもレバノン首相の座にある。
これほどの重大事件にもかかわらず、メディアのほとんどが沈黙を守った。この「監禁」事件については高橋和夫さんが顛末を説明してくれている。
ハリリという首相はレバノン人ながら、サウジアラビアとの二重国籍である。彼がサウジアラビアの不興を買ったのは、イランの影響力の拡大を阻止できなかったからである。彼はシーア派組織ヒズボラをレベノンの政治過程から排除できなかったと非難された。しかしヒズボラの軍事力はレバノン国軍以上である。サウジアラビアの外交を牛耳っているムハンマド皇太子はレバノン情勢にあまりに無知であり、あまりにも荒々しい。
はっきりしたことは、サウジがレバノンに影響をあたえるための有力なカードが失われたということだ。
10.手詰まり感が深まるイエーメン情勢
イエーメンは最悪の状況を迎えつつある。
11月4日にイエメン領内からリヤドに向けて弾道ミサイルが打ち込まれた。これらのミサイルは撃墜されたと報道された。サウジはレバノンの武装勢力ヒズボラによる犯行と主張した。ハリリの監禁もこの事件と絡んでいることは間違いないだろう。
イランはこれを虚偽で危険な主張と非難した。
しかし真相はこのような報道のレベルをはるかに超えていた。実はサウジの迎撃システムはまったく機能せず、ミサイルはそのまま着弾したのである。
サウジは驚愕し、対イエーメン攻撃を強化した。11月6日にはイエメンに人道支援物資を運ぶ経路を封鎖した。国連担当者は封鎖が続けば「何百万人もの犠牲者」が出ると警告している。その4日後には「イエメンで世界最悪のコレラが大発生した」という報道が流された。20万人が感染しているという。
首都サヌアをふくめイエーメンを実効支配しているのはフーシ派(宗派としてはシーア派)で、サウジが支援する前大統領派はアデンの周囲を確保するにすぎない。フーシ派は元大統領でスンニ派のサレハを前面に押し出していた。「アラブの春」で放逐されたこのいわくつきの人物は12月になると動揺し始め、フーシ派との連携解消を発表。サウジアラビア主導の連合軍との関係改善をもとめた。しかし記者会見の2日後には 首都サヌアを移動中「フーシ派」に暗殺されてしまった。
11.粛清事件はムハンマドの弱さの反映か?
11月4日のミサイルはサウジの心臓部に打ち込まれたようだ。それから2日後には大粛清事件が発生している。司法長官は、「11兆円が不正流用された」と指摘し汚職問題として解決しようとしている。しかしサウジの王侯貴族からすれば額が問題ではないだろう。現にムハンマド自身がパリ近郊に3億ドルの「ルイ14世の城」を購入したというニュースが世界中を駆け巡っている。(12.16NYタイムス)
普通に考えれば、イエーメン問題を泥沼に追い込み、防衛大臣なのにリャドにミサイルが打ち込まれるままにされているのでは責任問題であろう。
はたしてイラン憎し、シーア派憎しで、そのためにはイスラエルともトランプとも手を結ぶというのでアラブの大義は果たせるのか、と私がサウジ国民なら当然思うでしょう。