はなはだ僭越ながら、お屠蘇で酔った勢いで書いてしまう。
初期ドビュッシーというのはどうも変だ。ピアノ曲を経時的に聞いているとどうも納得がいかない。
そもそも作曲家としてはきわめて出発が遅い。
1880年、18歳のときにメック婦人のお抱えピアニストになり、お屋敷暮らしをした。そのときにメック夫人がドビュッシーの曲をチャイコフスキーに見せたが、「稚拙だと酷評された」とウィキには書いてある。チャイコフスキーとメック夫人との関係はこの頃からちょっと怪しくなってきていて、ドビュッシーに肩入れするメック夫人に、チャイコフスキーは面白くないものを感じていたかもしれない。
とは言え、実際に聞いてみたその曲(L.9 ボヘミア風舞曲)はたしかに稚拙と言われても仕方ないところがある。
ちなみにドビュッシーはピアノ三重奏曲をメック夫人に見せて、メック夫人は「ピアノ・トリオって良いわねえ」くらいのことを、チャイコフスキーあてに書いたらしい。
それでチャイコフスキーは、ニコライ・ルビンシュテインが死んだのを機に「偉大な芸術家の思い出」というトリオを書いたのだそうだ。ウソか本当か知らないが、そう書いてある。
84年にカンタータを書いてローマ大賞をとったというから、学才は間違いなくあるのだろうと思うが、ピアノ曲はチャイコフスキーの「酷評」後10年間発表していない。
それが1990年、いきなりまとめてドカーンと発表する。「二つのアラベスク」にはじまって、マズルカ、夢、スティリー舞曲、スラブ風バラード、ワルツ、ベルガマスクとほぼ連番でピアノ曲が並ぶ。
在庫一掃のクリアランス・セールの如きだ。
おそらく実作の年度はそうとう違うのだろう。まとめて聞いて「ドビュッシーってどんな作曲家?」とわからなくなってしまう。
だが、結局すごいのはベルガマスク、とくに月の光とアラベスクの1番だけだ。他はほぼヒラメキを感じない。さすがに稚拙とは言わないが、陳腐で凡庸だ。
たぶんドビュッシーは、作曲法というより、こういうコード進行を手に入れたのだろう。ジョアン・ジルベルトがボサノバのコード進行を発明したように。
ドビュッシーは印象派と呼ばれるのを好まず、象徴派と呼ばれたがっていたようだが、技法的に言えばスーラの点綴法みたいに分散和音を振りまいて雰囲気を出しているみたいなものだ。表現法(イディオム)なのであって、それほど高踏的な内容ではない。
調性の放棄と全音階への親和性は、論理的必然性というよりはイベリア趣味とか東洋情緒の受け入れの形で現れる。
結局、ドビュッシー的な音の世界は20世紀に入って「喜びの島」まで本格化しないのではないか。
この流れを追っていくと、どうもドビュッシーはロシアの作曲家の後追いをしているのではないかという気がしてくるのである。
端的に言えば、ドビュッシーがコード進行や音階などで新味を打ち出すとき、その数年前にロシアの作曲家が同じようなことをしているのである。
後期のリャードフ、アレンスキー。これに踵を接したラフマニノフとスクリアビンは、まさに「映像」においてドビュッシーが目指してたものではないか、そう思う。
それを、酔った勢いでいうと、記事の見出しの如くなるのである。