ある進歩的な新聞が、またも反ベネズエラのキャンペーンを行っている。ますますエスカレートしている。

要約を紹介する。

今年の中南米はベネズエラの政治、経済危機に焦点が当てられた年でした。

この危機は、控えめに見てもその半分は「作られた危機」であろうと私は感じているのであるが、この記者はそうは考えていないようだ。

用語の使いかたが非常に荒っぽいのが気になるのだが、

まずは「経済危機」の評価。

① 国民はますます困窮している。それは「人道支援」が必要なレベルに達している。

② 直接の原因は「物不足とインフレ」によるものである。
この書き方は曖昧だが、物不足によりインフレになっていると読むことにする。

③ インフレをもたらしたモノ不足の原因は「巨額の対外債務と石油価格低迷」による。
この書き方も曖昧だが、石油価格低迷により対外債務が巨額となり、購買力が低下したと読むことにする。

④ 月50%を超えるインフレをハイパーインフレと言う。ベネズエラはこの水準を突破した。インフレ率は「すでに1000%を超えたと言われます」と書かれているのは、おそらく2017年度の予測インフレ率が1000%を超えるだろう」という意味だろう。

いずれにせよ、激しい言葉遣いのわりに定義は曖昧である。

私のこれまでの研究からみて、明らかに不正確な記述がいくつかある。

①,③については不正確だ。④については吟味が必要だ。②については基本的に正しい。これは産油国のほとんどが直面する危機である。産油国の多くは基礎生活物資の多くを輸入に頼っており、石油価格の低下は即、輸入可能額の低下をもたらし、物不足と物価の上昇をもたらす。

問題は、どこを切り詰め、どこを頑張って保障するかである。かつての政府は貧困者や大衆の苦しみなど全く顧みなかった。だから人々は貧困者のための政府を立ち上げたのである。

対外債務については石油価格低下のみが原因ではなく、この国の為替政策が結果的に悪影響を及ぼしている。長期的には通貨切り下げは必至であり、それは即、対外債務の膨大化を意味する。

しかし通貨を変動相場制のもとに放置することは、投機資本の思うままに翻弄されることである。それは97年のアジア通貨危機の際に痛感したことである。

いずれにせよ、ベネズエラにおけるインフレは購買量低下→物不足による物価騰貴ではない。際限なく続く性格のものではない。記事では悪性インフレが今なお止まることなく、進行しつつある。もはやそれは人道レベルでの支援が必要なほどに悪化していると書かれているが、根拠を示すべきであろう。

ついで「政治危機」の評価

① 反政府デモで120人が死んだが、これは治安当局の弾圧によるものだ。なぜなら国連人権高等弁務官事務所がそう指摘しているからだ。

② ベネズエラの「民主主義は瀕死状態」にある。なぜなら国連人権高等弁務官事務所がそう断じているからだ。

③ 大統領は全権掌握を宣言した。これについては根拠は示されず、「事実上」という記者の判断に基づいている。

④ 大統領は野党リーダーの迫害や与党内の政敵の排除を続けている。「迫害」や「排除」という用語についても、「事実上」という記者の判断に基づいている。

⑤ ブラジル、コロンビアなど周辺諸国は数十万規模のベネズエラ難民の流入に直面している。
これについては具体的な情報が必要だ。一般的にはありえない人の流れである。長年在留した特派員であれば「デマではないか?」と疑うのが当然だろうと思う。
なお、国連人権委員会については 2017年11月19日  を参照のこと。

「ベネズエラは北朝鮮だ」というのだろうか
某進歩紙記事の一番困るのは、主体的な態度表明がまったくないことである。
わたしたちとしては、2002年のクーデター未遂事件以来チャベスをずっと支持し続けてきた。それはキューバ・ニカラグア支援の延長線上にあったし、非同盟運動や中南米の進歩運動の流れにあったからだ。
しかし某進歩紙の論調から言えば、わたしたちがこのような「事実上の独裁者」や、「迫害者」への連帯活動を展開すること自体、民主主義の自殺行為になってしまうことになる。
とってつけたように「軍事力で問題は解決しない」という中南米諸国の声を強調しているが、これは「北朝鮮はひどい国だけど、軍事的解決はいけない」というのと同じ論理である。
ベネズエラが北朝鮮だという議論にはとうていついていけるものではない。最低でも、「ここまでは正しかったが、そこから先は間違っている」とか、言ってもらわないと話にならない。

取材に当たっての3つのタブー
中南米の取材に当たって進歩性を担保するためにやってはいけない3つのタブーがある。
金持ちと付き合うな。大手通信社と付き合うな。日本人駐在員と付き合うな。
もちろん例外もあるし、取材のためにはあえて踏み込まなくてはならない場合もあるだろう。が、それは事情がある程度わかり、敵と味方がある程度分かってからにしたほうが良い。昔はこちらの肩書を言っただけで相手にされなかったから、こんなタブーは不要だったのだが…