1.1年間の政局
今年の政局は、結局「値戻し」に終わった。
6月から片やモリカケ、片や築地で政局は大いに揺れた。都議会選挙で針は大きくリベラルに動いた。
直後の仙台市長選はその象徴で、「野党は共闘」が前面に飛び出した。
野党共闘の一番の弱点は民進党にあり、これをどうするかが政局の焦点になった。共産党との切り離しを狙う連合は、希望への吸収合併という奇策に打って出た。これが成功したかに見えたその瞬間、「排除はします」発言が飛び出した。
この突然の発言に連合はうろたえた。自民党は喜んだ。
しかし一番の受益者は「市民連合」だった。市民連合は息を吹き返し強烈な逆ねじを食らわせた。
「野党は連合」がふたたび息を吹き返した。「希望」は月足らずのままで死んでしまった。
肝心なことは、「野党は共闘」というときの「野党」の中身が問われ、「中身がなければ野党じゃない」というのが国民の共通認識になったことだ。
残念だったのは「野党は共闘」のあとに続くはずだった「比例は共産」までは風が届かなかったことだが、これは次の楽しみにしよう。
もう一つ、これまでずっと語られずに来てしまっているのだが、「労働戦線の統一」がそろそろ正面から取り上げられなければならないのではないか。とにかく労働センターの共闘が、課題別、地域別、産業別に語られ、積み上げられるべきであろう。

2.「排除する」発言がいかにだいじか
「排除する」発言の重要性は、さまざまなスペクトラムを持つ政治諸潮流をどこで裁断すべきかを鮮やかに示したところにある。
それは戦後政治の流れの中でもっとも右側に引かれた境界線であった。
それは今後の政治の基本線を反リベラリズム、反立憲主義に置くという宣言であった。
ここで、リベラリズム、立憲主義という政治的ポジションがいかなるものであるのかが真剣に問われることになった。
これまで「野党は共闘」をスローガンに掲げてきた市民連合や無党派の活動家にとって、そのスローガンの意味が真剣に問われることになった。
果たして「野党は共闘」の先に「希望の党」はあるのか。その際にリベラリズム、立憲主義の旗は捨ててもよいのか。
そういう議論が不意打ち的に投げかけられたし、その答えは寸時の暇もなくもとめられた。
今回の政党再編劇の仕掛け人は言うまでもなく「連合」であった。
だから「排除します」発言から「どうぞ」という決意に移行するまでの議論は、各地での連合幹部と市民活動家の議論の結果であった。
その結果は両者の力関係によって決まった。しかし連合そのものも、「リベラリズムを捨てよ」という上級からの指示には抵抗を感じたに違いない。
その辺のせめぎあいが、投票行動となって現れているのだろうと思う。

たぶん、選挙結果は日本における戦後70年、リベラリズムの定着度が表現されていると思う。
政治学者を名乗る人であれば、ぜひそういう観点から今回の総選挙を分析してほしい。