NHKスペシャルで「サルの大移動」という番組を見た。まことに面白く、想像力をかき立てる番組であった。
それは、番組の本筋の話とは少々ずれているところがある。
実は、系統進化の話を調べているうちに、爬虫類の時代から哺乳類の時代への移行というのは意外と遅いのではないかという感じがしてきたのである。
大まかに言うとこういうことだ。
哺乳類は爬虫類全盛の時代には日陰の存在であったが、しかし結構したたかに生き延びて、それなりに分化発展していた。
そこに環境激変が来て恐竜類など大型爬虫類が絶滅した。
だから、そのときすでに哺乳類はそれ自身の体系を持って自然史に登場し、その後“それなりの”発展を遂げたのではないだろうか。
というのは、サル以外の哺乳類が、日陰の身だった頃と比べてそれほど生き様を変化させたようには思えないからだ。
動物というのは逃げる生活と捕まえる生活の上に成り立っている。これにさすらうという生活が加わる。哺乳類は爬虫類の辺縁で生活していたから、夜行性であり、高速であり、したがって恒温性である。
しかしこれらの性格は食物連鎖のトップに立った瞬間に不要となる。むしろトップにふさわしい爬虫類性・恐竜性がもとめられることになる。それは聴力や嗅覚、触覚という身の周り的感覚ではなく、視覚中心の感覚系の再構築であろう。
そしてそれに対応できたのは、結局のところ霊長類のみではなかったのか。象や河馬はただ体を大きくするという対応で動物界の頂点に立ったが、その代わりに居場所は制限され、動物としての普遍性を失った。
なぜそうなったか、爬虫類絶滅以来の歴史があまりに短かったからである。生物学的・DNA的進化をするにはあまりにも短い。
しかしサルはそこを、非DNA的な手法で乗り越えた。それが“さすらい”である。
だからサル以降の系統進化は、より非DNA的な手法で解析していかなければならない。
つまり進化学の方法は、爬虫類→哺乳類→霊長類という段階論ではなく、爬虫類+哺乳類→霊長類という観点から構築されなければならないということだ。プレ霊長類とポスト霊長類のあいだに分水嶺を設けることだ。(飛び、渡ることによる、トリと恐竜の分離に類するのか?)
その際のあらたなパラダイムがどんなものなのか、これがこれからの手探り課題となるだろう。