高木正道さんのDigital Essays より
民主主義と自由主義は相互に結びつく傾向が見られるが、これらはもともと別個の原理であって、自由主義的であって民主(主義)的でないことも可能であるし、民主(主義)的であって自由主義的でないことも可能である。
ここで自由主義と呼んでいるものは、憲法学の分野で立憲主義と称されているものとほぼ同じものである。つまり、「立憲主義は自由主義を制度的に実現したものである」
そこで、デモクラシーとリベラリズムの関係を突き詰めていくと、究極的にはこういう粗暴な問題提起が可能となる。
粗暴な民衆支配か優雅な寡頭支配か
答えははっきりしているわけで、優雅な寡頭支配の方がいいに決まっている。
いいか悪いかというより、真のデモクラシーに到達するためにはその道を通っていくしかないのである。
真のデモクラシーに到達する路は、粗暴な民衆支配の先には開けていない。だから一度寡頭支配の路に戻るしかないのである。
ただ、粗暴な民衆支配の時期を経過することが、優雅な寡頭支配、そして真のデモクラシーへの歩みを早めるか否かについては議論が分かれるところであろう。その可能性はいささかなりとも期待したい。


②王権の制限された寡占支配

④近代民主主義(共和制)

①専制支配

③粗暴な「民衆」支配

生産力の拡大にともない、社会システムが進化し、統治システムは①から④へ向かうのであるが、次の3点が必然的傾向となる。

1.①から④の流れは必然である。

2.①から②に向かうが、ときに①から③に向かうこともある。

3.②と③との相互転換はありうる。

4.①から④へ向かうために②を経由するのが必須である。③から④への道はない。