幼児性健忘というのがあるそうだ、というより、幼児性健忘というのだそうだ。

例えば自分の記憶を手繰っていくと、それ以上先には遡れないところがある。多分3歳前後らしいのだが、実際にはもっと後のようにも思える。

それより前の記憶は、一度は覚えたはずなのだが、忘れてしまったということになるので、これはまさに健忘症だ。

「覚えたはず」と何故言えるか、それは幼児の行動を観察すれば分かる。幼児は体験したことを体験した片っ端から忘れているわけではない。むしろ鮮明に覚えていると言ってもよい。それは心理実験でも確認されているので間違いない。

だから短期記憶は残されるが、長期記憶が残されないということになる。これは老人性痴呆で短期記憶がまるで駄目になってしまうが、長期記憶は意外と残っていたりするのと逆のパターンだ。

このことは2つの意味を持つ。

まず、短期記憶の装置と長期記憶の装置とは違うものだということだ。短期記憶はとりあえずの記憶装置で必要がなくなれば消えていく。長期記憶の装置はとりあえずの記憶には役に立たないが、一度覚えれば一生モノだ。

おそらく短期記憶は海馬=古皮質で、長期記憶は前頭葉の何処か=新皮質だ。

もう一つは、長期記憶装置が出来上がり、通常営業を開始するのは3歳以後のことだということだ。つまり、人間は大脳皮質が未だ建設途中のまま生まれてくるということだ。健忘症(Amnesia)というと何か病気のように思われるが、そもそも未だ装置が作動していないのだ。

我々は、幼児というと大人のコピーのように考えがちだが、それは間違っている。人間として生まれてきて、それが成長/発達していく過程として幼児期を捉えるのは、正確ではない。
これは発達心理学の第一段階ではなく、むしろ個体発生の過程の最終コーナーの話として理解すべきであろう。

厳密に言えば、幼児はDNA的には人類ではあっても、生物学的には未だ人間ではないのだ。他の霊長類以下かもしれない。

ここのところを勘違いすると「幼児性健忘」という発想が生まれ、言葉が生まれてくる。もちろん、この言葉を用いた人もその辺のことはよくわかっていて、冗談交じりの面白い表現として用いただけだと思うが、言葉が独り歩きすると結構怖い。

こういう仲間内の隠語みたいなものが一般向けの本で使われると、文章全体を読みにくいものにしてしまうので、注意してもらいたいものだ。