いささか持て余し気味で困っている。
これまであまり材料がない中で、いろんなところから切れ端を拾ってきては継ぎ合わせるという形で「赤いウィーン」年表を作ってきたのだが、上条勇さんの論文を見つけてしまったためにバランスが取れなくなってしまった。
まずとりあえずは論文の中心内容である大戦間のオーストリア社会民主党の歴史をテーマに、別途年表を起こしてみようと思う。

これはおそらく「赤いウィーン」前史と一本化して行くことになると思う。

そのうえで、かなり雑然となってしまった「赤いウィーン年表」を、ウィーンの動きそのものにシボり込む形で整理したいと思う。

そこで少々扱いに困るのがカール・ポランニーのところに書き溜めたハンガリーとブダペストの歴史である。

とりあえずはそのままにしておいて、「ポランニーを知りたい人のためにはオーストリア社会民主党の年表も見てください」、みたいな扱いにするしかないだろうと思う。

上条さんの論文を読んでみてわかったのだが、これまでポランニーのオリジナルの議論と思っていたものが、かなりオットー・バウアーとオーストリア社会民主党の所説を下敷きにしたものだということが分かった。

つまり、ポランニーの言っていることはかなりの程度までウィーンの論壇では共通の話題であったということである。しかもバウアーの議論はもっと前、カール・カウツキーの所説を発展させたものだということが分かってきた。

こうなると、どうも最初からやり直さなければならないということになりそうだ。

もちろん私にはもはやそれだけのガッツもないし、月日も残されていないだろうから、誰かが引き継いでくれるのを期待するばかりだ。