ハイドンのピアノソナタとナンバリングの歴史

飯森 豊水「J.ハイドン研究における近年の変化について」を下敷きにしながら歴史動向を探る。

1732年3月31日 ハイドンが生まれる。

1761年 ハンガリー貴族エステルハージ侯爵家に副楽長として仕える。

1770年頃 ソナタ(Hob18-19, 44-46)が作曲される。(出版は10年後)

1774年 ヴィーンのクルツベック社から6曲の鍵盤楽器ソナタ(Hob21-26)が出版される。この頃ハイドンにおけるソナタの位置づけが定着。

1776年 「6曲のソナタ」(Hob27-32)が発表され、流布する。

1780年 ヴィーンのアルタリア社から6曲のソナタ(Hob35-39, 20)が出版された。

1783年 ロンドンで3曲のソナタ(Hob43, 33, 34)が出版される。

1784年 シュパイアーで3曲のソナタ(Hob40-42)が出版される。

1789年 2曲のソナタ(Hob48-49が発表される。この頃からクラヴィアに代わってピアノが鍵盤楽器の主流となる。

1800年 ロンドンやヴィーンで3曲のソナタ(Hob 50-52)が出版される。いずれも94年の第2回ロンドン滞在中に書かれたもの。

1810年 ハイドンの死去。ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社(以後ブライトコップフ)の代表でハイドンの友人グリージンガーによる伝記が出版される。

1879年 C.F.ポール、ハイドンに関する研究を開始。「グローブ音楽事典」でハイドンの項目を執筆。

1895年 高名な音楽理論家フーゴー・リーマン、ハイドンの手稿を発掘。発表された34作品に新たに発見された5曲を加え39曲とする。

1908年 ブライトコップ社による「ハイドン全集」の編集が開始。

1918年 「ハイドン全集」のうち、ピアノソナタの巻が発表になる。校訂者カール・ペスラーは一挙に52曲へ拡大した。

この全集は全3巻からなり、第1巻に第1-22番、第2巻に第23-38番、第3巻に第39-52番が収められた。彼はこの52曲のソナタを創作年代順に並べることを意図した。しかしとくに第1~17番を作曲順に並べるにはその判断の助けとなる資料がまったく欠けていたといわれる。

1927年 オランダの音楽学者アントニー・ヴァン・ホーボーケン、ハイドンの楽譜等を写真で複製するなど収集を開始。1千曲のカードを数えるに至る。

1932年 ガイリンガー、「ヨゼフ・ハイドン」を執筆。代表的ハイドン概説書となる。

1933年 ブライトコップ社の「ハイドン全集」が挫折。

1939年 デンマークの研究者 J.P.ラールセン、ハイドン楽譜の真贋に関する先駆的研究。門下にホーボーケン。(ただしホーボーケンはラールセンより15歳年上)

1947年 ボストン生まれのロビンズ・ランドン、ウィーンに軍務で赴任。ラールセンの下でハイドンの研究を始める。

1950年 ボストン・ウィーンのハイドン協会による全集発行の企画がスタートする。ラルセンがシニア研究員、ロビンズ・ランドンが実務を担当した。

1951年 楽譜は4巻まで出したあと中断。全集企画が流産する。

1955年 ケルンに「ハイドン研究所」を設立。ラールセンが初代責任者となる。学問的に緻密な全集を新たに出版することを目的とする。

1955年 ロビンズ・ランドンが『ハイドンの交響曲』を出版。真正の交響曲を特定し、作曲順を推定する。

1957年 ホーボーケン、「ハイドン書誌学的作品目録」を作成。第1巻「20のグループの器楽曲」が発表される。この内「グループ16」(表記はHob.XVI:)がピアノソナタに割り振られる。

ホーボーケンは、すでに整理されているジャンルについてはできるだけそれを尊重するという方針を採る。したがって、ピアノソナタにおいてはペスラーの第1~52番がそのまま踏襲された。

1958年 ハイドン研究所、ハイドン全集の発行を開始。60年までに最初の8巻(ヘンレ社本)を出版。所長はラールセンからフェーダーに交代。

1968年 進まぬ作業に業を煮やしたランドンは、独自の『ウィーン原典版』の作成に乗り出す。この年に交響曲全曲の楽譜が発行される。

1972年 ハイドン研究所ゲオルグ・フェダー校訂の原典版ピアノ全集(ヘンレ社)が発刊される。

1973年 クリスタ・ランドン、ヴィーン原典版を発表。新たに13曲を加え(うち6曲は実体がない)、3曲を排除して62曲とした。全62曲に通し番号を付けなおした。

クリスタ・ランドンはほとんどネットでは紹介されていない。ウィーン音楽院を卒業後、ハイドン協会にくわわる。49年にロビンスの二度目の妻(5歳年上)となる。77年になくなっている。他にほとんど見るべき実績がないことから、ロビンスの仕事ではないかと思われる。

ランドンは他の研究者の協力を得て訂楽譜の編集を急ぎ、しばしばハイドン研究所より早く出版した。ランドン版に当たる第4番、第7番、第17番~19番、第21番~28番はホーボーケン版には該当するものがない。

ランドンおよびその陣営の研究者たちによる楽譜出版が、その不正確さ故に拙速の批判を浴びることがあった。最大の問題は根拠なしに創作順を推定して全面的に番号づけ直したころにある。

1974年 ケルンのヨーゼフ・ハイドン研究所、ハイドン関連文献の目録作成を開始。

1978年 ホーボーケンの目録第三巻(作品集、作品番号一覧、出版社一覧、被献呈者一覧等のデータ集および追補と訂正)が発行し、全目録が完成。

1976年 ランドン、5巻からなる膨大な『ハイドン:年代記と作品』を刊行。

1984年 アメリカのDover Publications 社、ペスラーの『ピアノ全集』全2巻を復刻・出版。

1994年 ロビンス・ランドンが「新発見のピアノソナタ」とした作品をめぐって論争。これらの楽曲は偽作であると結論された。

2004年 全音楽譜がハイドン:ソナタ集1、2を発行。各15曲が収録されている。いずれもホーボーケン表記を採用。ランドン表記を旧分類とする。

2009年 没後200年を機に、G.ヘンレ社より「ピアノソナタ全集(原典版)全3巻」が発行される。ケルンのハイドン研究所「ヨーゼフ・ハイドン全集」の一部を構成する。

鍵盤音楽担当編集者のフェーダーは、通し番号を付すのをやめ、全54曲を10のグループに分け創作順関係に融通性をもたせた。

2009年 「ウィーン原典版」、ランドン校訂の旧版を底本として改訂に着手。改訂担当者はライジンガー。ランドン独特の通し番号は旧番号として維持されたものの、並び順はホーボーケン番号順に並び替えられる。

2010年 ペータース社より「マルティエンセン編ピアノ・ソナタ集 全2巻」が発行される。

2013年 「ウィーン原典版ハイドン ピアノソナタ全集」が改訂。日本では音楽之友社から発行。