本日の赤旗文化面は「統制された文化」シリーズの第23回。「学校儀式」という文章だ。筆者は有本真紀さんという方、立教大学の先生で「卒業式の歴史学」という著書があるようだ。
本来ならそちらを見なければならないのだろうが、とりあえず失礼させてもらう。
失礼ついでに。有本さんは「歴史学」を伝えたいようだが、こちらは「歴史」のところだけさらわさせてもらうことにする。
1.明治初期
日本に近代学校制度が開始される。最初の「学校儀式」は新年の始業式だけだった。(新年なのか新年度なのか? そもそもなんで4月が新年度なのか)
2.卒業式
1876年(明治9年)に、陸軍戸山学校で卒業式が始まった。翌年には東大、数年後には師範学校や中学校にも拡大する。
どういうわけか、小学校への導入はそれから10年位遅れた(明治20年頃)らしい。
3.唱歌
明治前半期に唱歌を教える風習はなかった。当時の日本人に「みんなで一緒に歌を歌う」という行為は馴染みがなかった。
(この項は、儀式の歴史としてより唱歌の歴史として興味深い。以前にも「故郷を離るる歌」でかじったが、いずれもう一度系統的に勉強してみよう)
4.紀元節と天長節
これが最初の上からの命令に基づく儀式らしい。
1888年(明治21年)、文部省が内命を発した。「国家の祝日に生徒を集めて祝賀式を挙行すること、その式はもっぱら唱歌によるを可とす」というものだ。国家の祝日がいかなるものだったかが、ちょっとこの文章からは判じかねる。
まぁいずれにしても大したものではなさそうだ。
5.教育勅語の発布
1890年(明治23年)に教育勅語が出されると、矢継ぎ早に指令が継ぎ足されて、たちまちのうちに天皇神格化システムが国民を縛り付けることになる。
具体的には翌91年の「小学校祝日大祭日儀式規定」というのが曲者で、御真影への最敬礼・教育勅語奉読・訓話と唱歌斉唱」が事細かに定められた。その2年後には君が代・勅語奉答・1月1日・紀元節など8曲の儀式唱歌が告示されたそうだ。
全国の学校で式次第や振る舞い方までもが画一化し、厳密な指導が行われるようになる。
ここからが大変なことになっていく。巻き尺を持ってスカートの丈を計ったり、君が代の口パクを監視するパラノイアが教育界に跋扈することになる。
時期的には日清・日露へ向けての思想動員と重なるのであろうか。与謝野晶子はこういう教育は受けていなかったから「かたみ(互い)に人の血を流し 獣の道で死」ぬことを拒否したのだ。

ということで、文章の後半は「儀式」が強制化の有効な手段であることが論じられる。そして「儀式の呪縛」からの解放を説くが、「そこまで引っ張るのも何だなぁ…」とちょっと退き気味になる。
いずれにしても貴重なお話をありがとうございます。