「原爆の落ちた日」という本がある。半藤一利さんと湯川豊さんの共著になる本で、PHP文庫の一冊となっている。
この本を読んでいて、驚愕の内容に会った。
「大本営戦争指導日誌」というものがあるらしい。
敗戦時に一部が処分せずに残ったのだろうか。現在も閲覧可能のようである。
その昭和19年6月24日の記録には下記のごとく記されていると言う。
「来月上旬には、サイパン守備隊は玉砕すべし。もはや希望ある戦争指導は遂行し得ず。残るは、一億玉砕による敵の戦意放棄を待つあるのみ」
すなわち陸軍統帥部の中においてすら、戦勝の望みはほとんどなかった。
7月1日の戦争指導日誌はさらに驚くべき内容となっている。
「昭和20年春期頃をめどとする、戦争指導に関する第一案を研究す。判決としては、今後帝国は作戦的に大勢挽回のめどなく、しかもドイツの様相もおおむね帝国と同じく、今後逐次“ジリ貧”におちいるべきをもって、速やかに戦争終結を企図すとの結論に意見一致せり」
つまり作戦本部は昭和19年7月のサイパン玉砕をもって、戦闘は終わったと判断したのである。それにもかかわらず、国民にさらに1年余の無駄な抵抗を強いた。
そしてその1年こそが屠殺の1年であった。フィリピンでの大量戦死。本土の絨毯爆撃、とりわけ焼夷弾による無差別の殺戮、非戦闘船舶への魚雷攻撃、そして沖縄での住民100万を巻き込む大量虐殺。広島・長崎の原爆死、満州での大量棄民、戦災孤児や帰還子女の餓死。
これらのすべてはサイパン玉砕後の1年で起きたことばかりである。
これが日本の戦争犯罪者たちの最悪の所業なのである。

機密戦争日誌」というのは、これまでもいくつかの断片が発行されていたようであるが、決定版となったのは平成20年5月1日発行の錦正社版のようである。
編者は軍事史学会で800ページ2万円というからおいそれと手が出る価格ではない。
まず出版社の告知
変転する戦局に応じて、天皇と政府、陸軍及び海軍が、政治・外交指導を含む総合的な戦争指導について、いかに考え、いかに実行しようとしたか?
日々の克明な足跡がここに明かされる。
「機密戦争日誌」とは、大本営政府連絡会議の事務をも取り扱っていた大本営陸軍部戦争指導班(第二十班)の参謀が昭和十五年六月から昭和二十年八月まで日常の業務を交代で記述した業務日誌。
敗戦にあたり焼却司令が出される中、一人の将校が焼却に忍びなく隠匿するなど、様々な経緯を経て防衛研究所図書館に所蔵され終戦から半世紀を経た平成九年に一般公開された貴重な史料。

ただし、半藤さんが示唆するような軍の最高幹部の意見を集約したものではなく、担当将校の所感が綴られたものである。

軍事史学会会長 の伊藤隆さんの挨拶文によると、
残されているのは大本営陸軍部第二十班(戦争指導班)の業務日誌であるが、その他に各部課でも業務日誌を作成していたと思われる。
しかし第二十班が大本営政府連絡会議の事務をも担当していたという位置から考えて、重要性は高いと判断される。
と、やや控えめの表現になっている。