マッハの良いところ、悪いところ

マッハの良いところは勇敢なことだ。悪いところは乱暴なところだ。

この2つの素質があると、超大作がいくらでも書けてしまう。良くも悪くも分かりやすい。

乱暴だからといってそれほど馬鹿にしたものではない。かなりの点で革新的で、示唆的だ。

惜しむらくは弁証法がない。論理を駆動させるのはマッハで、その対象はみずから動かない。マッハには「もの」をして語らせようという気風がない。


ウィキから言葉を拾っていく。

1.『力学の発達』

ニュートンによる絶対時間、絶対空間などの基本概念には、「形而上学的な要素」が入り込んでいるとして批判した。

「形而上学」というのは彼の決まり文句で、「古臭い、決まりきった既成概念」くらいの意味だ。

彼は時空間には絶対というものはないとし、ニュートン力学の及ばない世界があると主張した。

「マッハの原理」というのは、「物体の慣性力は、全宇宙に存在する他の物質との相互作用によって生じる」とするものである。

これをアインシュタインが、特殊相対性理論の構築への足がかりにしたということで有名になった。ただしヒラメキのためのヒント以上のものではなかったようだ。

要するに「自分が動いていないとすれば宇宙が動いていることになる」ということらしいが、もちろん逆の可能性(地動説)もあるわけで、万事が相対的ではないかという主張らしい。

マッハは「皆さん、はたしてこの世に《絶対》などというのはあるのでしょうか?」と指摘したそうだが、これはマルクスの「すべてのものは疑いうる」というモットーに類似している。

これは至極まっとうな本のようである。松岡さんの紹介によると、第4章第4節の「科学の経済」という一節にこう書いてあるそうだ。

あらゆる科学は、事実を思考の中に模写し、予写することによって、経験とおきかわる、つまり経験を節約するという使命をもつ。

事実を思考の中に模写するとき、私達は決して事実をそのまま模写するようなことはなく、私達にとって重要な側面(ゲシュタルト)だけを模写する。

われわれは模写するときには、いつも抽象しているのだ。

十分すぎるほどに唯物論的(レーニン的な意味で)だし、現代の脳科学の水準から見ても妥当だ。

ただ、ニュートン力学を「力学的物理学」と呼び、それに代えて「現象的物理学」あるいは「物理学的現象学」を構築するべきだと訴えたそうだが、こちらは少々ピント外れだ。

ビッグバン以降、この世はエネルギーで満たされている。それがときどき「現象」として目に見える形で現れる。それだけの話しだ。

彼は「音速の壁」を突破した男として、世の中のあらゆる壁はぶち破れると思い込んだのではないか。

マッハは以上のような論建てのあと、「物理学的現象学」を提起する。それは、物理学から形而上学的カテゴリーを排除し、感性的要素の複合体を対象とするのだそうである。

排除されるカテゴリーには「実体」、「因果」、「絶対運動」(エネルギー)などがふくまれる。(野家啓一

フッサールはマッハの一元論に賛同しつつも、志向性の概念が欠けていることを批判した(両者の間に論争があったらしい)という。

また同様にマッハは、原子論的世界観や「エネルギー保存則」という観念についても批判したそうだ。

思うに「積み上げ方式」の構築的な科学論と対蹠的な位置に立っていたのであろう。

2.認識論への言及

認識論の分野では、『感覚の分析』(1886年)と 『認識と誤謬』(1905年)が代表的著作である。

マッハの認識論の核心は「要素一元論」と呼ばれる。

主-客二元論や物心二元論を捨て、直接的経験へと立ち戻り、そこから再度、知識を構築しなおすべきだというものである。

意識が完全にめざめるやいなや、人間は誰しも、すでに出来あがった世界像を裡に見出します。

それが出来あがったのは当の本人がこれといって意識的に参与するからではありません。

むしろ反対に、人々は自然および文明の賜物として、何かしら直接的に了解されたものとして、出来合いの世界像を受取ります。

これは、「認識の分析」(1894)という解説本の一節らしい。「出来合いの世界像」というのはDNA的、生得的世界像のことか。とすれば、これは正しい。

気持ちとしては意識の形成における「感覚」の役割をもっと大事にしようということであろう。これ自体については大賛成である。人間の高次精神は、元はと言えば感覚的知覚の集合である。

このあとに前記記事の文章が続く。

我々の「世界」は、もともと物的でも心的でもない、中立的な感覚的諸要素(たとえば、色彩、音、感触、等々)から成り立っている。

「物体」や「自我」などというのは本当は何ら「実体」などではない。

因果関係というのも、感覚的諸要素(現象)の関数関係として表現できる。

騎虎の勢いでカントの物自体も吹き飛ばしたことになる。

これを日夜食うか食われるかの生存競争にいそしんでいる生き物はどう受け取るだろうか。天敵の口の中で噛み砕かれる瞬間、「これは感覚の関数関係にすぎないのだ」と納得するのだろうか。

この「感覚」至上の、あえて言えば形而上学的な認識論への突然のジャンプは、流石に世の指弾を浴びたようである。ルートヴィッヒ・ボルツマンやマックス・プランクらがこれを批判したとされる。

3.ウィーン学団への影響

マッハはこのほか心理学、生理学、音楽学などさまざまな分野の研究を行ったそうだ。

各分野に影響を及ぼしたというが、どちらかと言えば学問的というよりカリスマ的な影響力であろう。

そのカリスマとしての最大の「功績」がウィーン学団の結成(1929)であった。

これはウィーン大学のシュリック、ハンス・ハーンを中心とする科学者、哲学者のグループで、論理実証主義を標榜した。

彼らの多くがナチスの台頭に伴い米国に亡命し、以後米国にその考えが広がっていくことになる。

ウィーン学団については「科学的世界把握 ― ウィーン学団」というページが詳しい。詳しいが難解である。


私の感想であるが、

端的に言えばマッハは十分に唯物論的である。少なくともニュートン力学を批判するとき、彼は唯物論者と言ってもいい。

ところが、認識論に足を踏み込んだとき決定的な間違いを犯した。

マッハは、時空の絶対性を前提にしたニュートン力学に本質的な批判を加えたのであるが、それに代えて「感覚」を至上のものとして持ち込んだ。

それは「感覚」という神の復活であり、彼が忌み嫌ったはずの「形而上学」への復帰である。

レーニンが、対立の主要な側面を唯物論VS反唯物論にあると考えたのは正しいのだが、それはマッハが非弁証法的で形而上学的であったからだ。

唯物論の立場というのは、物質の客観的存在を認めるかどうかにとどまるものではない。自然にはエネルギーがあり、運動があり、あえて言えば「発展」があるということを認めるということだ。

一言で言えば「自然の弁証法」を認めることが唯物論の立場である。

マッハは非弁証法的であったがゆえに、すべての存在を「自然の過程」(エネルギーの流れへの抗い)として捉える唯物論の立場に立ちきれず、感覚至上主義へと漂流していってしまったのである。