脳解剖学の開拓者たち
川村さんのページから 神経学の歴史19世紀の神経解剖学 を年表化した。
Lawrence C. McHenry, Jr. 著 「神経学 の歴史」の第5章「19世紀の神経解剖学」を翻訳したも のである。豊倉康夫監訳となっているが、とくに断りがな いことから、この章は川村さんの訳になるものだと思わ れる。
Ⅰ 19世紀前半 
19世紀前半における神経解剖学の進歩の多くは脳の 内部構造と肉眼解剖に関するものであ って、Reil, Bell, Mayo, Stilling, Arnold その他の人々によってなされた。

19 世紀の初頭 ドイツの精神医学者で解剖学者のJ.C. ライル、アルコール固定した脳の内部構造を研究。脳 の機能の自律性を組織の興奮性から説明。さらに「生 命力とは身体を構成する物質の化学反応が主体的に 表現されたものである」と主張。
1821 イギリスのC.ベル、第五脳神経(三叉神経)が 感覚・運動の両 者から成立することを証明。“Bell 神経 ”を発見する。
1824 スティリング、ミクロトームを考案。脳研究が飛 躍的に進む。
1824 Dutrochet、神経線維が透明な液体を満たした 管から構成されることを確認。
1829 イタリアのL.ロランド、「大脳半球の構造につい て」を発表。大脳の脳回と脳溝を詳述し、中心前回と中 心後回とを指摘する。
1820頃 ウィーンのF.J.ガルとJ.C.シュプルツハイム、 脳の白質は神経線維によって構成され、大脳皮質の 灰白質は神経活動の器官であることを発表。また延髄 の錐体交叉を発見。
1833 ドイツのエーレンブルク、神経線維を無髄線維 と有髄線維に区別。
1837 チェコのJ.E.プルキンエ、小脳に「フラスコ型をし た神経細胞」を発見。有髄線維と核と樹状突起を有す る神経細胞を図示。
1836 ドイツのR.レマク、末梢神経の軸索が脊 髄の 神経細胞と連続していることを証明。
1838 シュライデンとシュヴァン、顕微鏡による観察か ら細胞説を提唱。
1844 R.レマク、大脳皮質の6層構造を組織学的に確 認。 1850 イギリスのA.V.ウォラー、神経細胞が神経線維 を養っていると推論。

Ⅱ 19世紀後半
Weigert, Gerlach, Marchi, Golgi, Cajal, Remak, その他の 人々の精妙な組織学的方法に よって、脳の顕微鏡的 解剖がなしとげられた。

1856 B.シュティリンク、ミクロトームを用い、アルコー ル固定をほどこした脳から連続切片を製作する。
1858 ドイツのJ.ゲルラッハ、カルミン染色を考案。神 経組織への最初の染色法となる。その後メチレンブル ー、ヘマトキシリンが相次いで導入される。
1871 ゲルラッハ、神経細胞の網状説を提唱。脳の 灰白質は細い樹状突起が融合して形成される精緻なび まん性の神経網から成り立つと主張する。
1873 ゴルジ、鍍銀法を用い神経細胞の全体像を描 き出すことに成功。ゲルラッハの網状説を実証。
1884 C.ヴァイゲルト、髄鞘染色法を導入。
1891 H.W.G.ワルダイヤー、神経細胞とその突起を神 経系の構造単位とし、ニューロンと命名。
1892 スペインのS.R.カハール、ゴルジの鍍銀法を用 い、情報の流れを検索。神経刺激は網状構造ではなく 神経細胞の接触により伝導すると主張。また刺激が樹 状突起により受け止められ、神経細胞を通過し、軸索 により伝達されることを明らかにする。
1906 カハールとゴルジがノーベル医学賞を受賞。受 賞講演でゴルジは網状説を擁護しカハールを攻撃した という。
1909 ブロードマン、大脳皮質の区分図を発表。