川村光毅さんという解剖学者が書かれた「猿が人間になるに当たっての労働の役割」の解説が非常に面白い。
川村さんの経歴はよく分からないが、1935年?生まれ、千葉大卒、最終職歴は慶応大の解剖学教授、2000年に退官している。
最初は精神科医を志したが、哲学的な解釈に嫌気が差して、神経解剖学の方に進んだようである。
唯物論的な志向の強いひとらしく、パブロフを敬愛していると言う。坂田の三段階論も見え隠れする。
いま私が志向している方向を進まれた先人である。
この文章で川村さんがもっとも関心を集中しているのは、「労働の役割」ということよりも「猿が人間になる」決定的なステップを同定することにある。
精神というのは脳が生み出すものである。それと同時に人間の脳が生み出すものでもある。
脳というのは神経細胞・神経組織の集合であり、脳の活動というのはその繰り出すインパルスの総体である。
神経そのものはヒドラの時代からすでに存在し、脊索動物に至って中枢神経系が確立する。(昆虫を除けば)
それが精神を生み出すまでに至ったのは、いくつかの画期的な段階があり、そのたびに脳が質的変化を遂げてきたからである。
マクロに見ればそれはきわめて明瞭である。しかし個別に見ていけば、その変化の過程にはさまざまな中間型があり、並列関係があり、グレーゾーンがあり、決してクリアカットではない。
そのような事象に埋もれてしまうと、核心的な質的変化を見失ってしまうことになる。
とくに精神とか心の問題で、それは顕著である。ヒトを獣性と神性に裁断するのは愚の骨頂であるが、それを逆手にとってサルとヒトを同一スペクトル視するのも、詭弁に類いする行いである。
進化の連続性と断絶性の問題、エンゲルス風に言えば「量から質への転化」というのは意外に悩ましい。
「労働の役割」も、何も労働でなくても、例えば言語でも、あるいは自然環境でも社会でも良いのである。
これはこれで、影響因子あるいはパラメーターの重み付けの話であり、別個の話題となるであろう。
そしてそれがエンゲルスの著書本来の主眼であろう。
“The Part played by Labour in the Transition from Ape to Man”
というやや控えめな題名がそれを表している。
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