なかなか嗅脳に関する文献がなく、仕方なく範囲を広げてみた。嗅覚と味覚を検索窓に入れてグ-グルしてみたところ、下記の文献がヒットした。
4 章 味嗅覚 - 電子情報通信学会知識ベース
うんざりするほど宣伝まがいの独断的な文章が多い中で、過不足なく事実を記述してくれている。ありがたい文章だ。以下、その大要を紹介する。

4-1 味 覚
(執筆者:小早川達)[2008 年 8 月 受領]
4-1-1 味覚の受容機構 
「塩味」「甘味」「酸味」「苦味」の四つの味が基本味とされている。
日本で 1998 年に池田らが提唱したグルタミン酸ナトリウムやイノシン酸ナトリウムなどの「うま味」が第 5 の基本味といわれ,現在では世界的にこれが認められている.
部位による味質の感度は従来いわれているような局在化は著しくない。
味覚受容の機序は面倒なので省略。

4-1-2 味覚の伝達機構 
味覚のいい加減なところは、顔面神経,舌咽神経,迷走神経が相互乗り入れをしていることである。もともとほかの働きをしていた神経に同乗させてもらう借り物的なところがある。
とにかくそれらの刺激は延髄の孤束核に集約される。
孤束核はそもそもが迷走神経の一次センターで、消化器系,心臓血管系,呼吸器系からの入力が集中される。要するに内臓感覚情報として一パックにされるのである。
嗅神経の集中点は嗅葉→視床下部であり、延髄とは遠くはなれている。したがって味覚と嗅覚はかなり高次のところで出会うことになる。
一次センター(孤束核)からの伝達方向は、とりあえず運動反射系に反映させる経路に向かい、もう一つは視床の味覚中枢に行く。
霊長類では視床でニューロンを変えて、さらに大脳皮質の味覚野に行く。破壊行動実験や誘発電位法などから,島皮質(前頭弁蓋部と島皮質の移行部)が高位中枢であることが確認されている。
嗅覚と統合されるのはおそらく視床内であろう。大脳に行くのはおそらく「味を評価し楽しむ」ためであろう。猫でも好き嫌いはあるが、もう一つ上の「味わう」というレベルがあるようだ。

4-1-3 味覚の皮質における投射 
いろいろ書いてあるが、素直には信じられない。とりあえずはどうでもよいことだ。

4-2 嗅 覚
(執筆者:小早川達)[2008 年 8 月 受領]
4-2-1 嗅覚の受容機構 
Richard Axel らはニオイの受容体の発見をし,これによって彼らはノーベル生理学・医学賞を受賞した.
受容体において,ニオイ物質と受容体は 1 対 1 の関係ではない。組み合せによってニオイ分子が認識されるために,相当数のニオイ分子の認識が可能になる。

4-2-2 嗅覚の伝達機構
嗅球からは直接,前部梨状葉皮質に投射する.五感のなかで,視床を通らず皮質に直接投射するのは嗅覚のみである.
前部梨状葉皮質からは視床下部,島皮質,眼窩前頭野または扁桃体に投射する.
(大脳皮質から視床下部に情報が上行するのは、形式論理的には奇妙な話である)

4-3 人間と味嗅覚
(執筆者:小早川達)[2008 年 8 月 受領]
4-3-1 誘発応答計測 
省略

4-3-2 味覚と嗅覚の違い 
味覚も嗅覚も、味物質が蛋白質に受容され,受容細胞内での化学プロセスの後,イオンチャネルが開き,電気パルスに変換される。
しかし人間という観点から見ると共通点と相違点がある.共通点は両方が化学受容感覚であるということだ。また「快・不快」がほかの感覚と比較してより直接的に想起されることも共通する。
しかし「言語表現」という観点では違ってくる。嗅覚に関しては、「甘い」「酸っぱい」「苦い」に相当する語彙は存在しない.
たとえば「甘い香り」は、ニオイが甘いのではない。「そのニオイが甘い味を連想させるようなニオイ」ということである.
このようにニオイの評価は人間の印象によって大きく影響を受ける.このために「快不快において中立」な嗅覚刺激をつくることが難しい。

4-3-3 順応
刺激を持続して与えられると感覚強度が時間と共に減衰していく。これを順応という.化学受容感覚の特徴である。
感覚強度の時間による減衰は、受容器における感覚減衰と中枢における減衰とに分けられる。前者を adaptation(順応)と呼び,後者を habituation(馴化)と呼ぶ。
順応は,味物質が嗅細胞のなかの嗅繊毛の受容部位に持続的に結合することによる。
ニオイ刺激に対して「良い印象」を持った場合は強度の低下をもたらし、「悪い印象」をもった場合は順応が起こりにくい。
(施設のワーカーさんたちは順応ではなく馴化しているのですネ、ほんとうにえらい)

4-3-4 快不快
味嗅覚の研究において動物を用いた実験で快不快の研究が数多くあり,それらの結果を基にして人間の「おいしい」「まずい」(もしくは”やみつき”)が語られることが多い.
しかし人間における「おいしい」「まずい」の判断は、もっと複雑な要因の上で判断なされていると考えるべきである.(心より同感します)