呼吸と発酵の研究史

神川さんの本は光合成の話から始まる。これは的確な発想だと思う。

しかし残念ながら、この頃光合成の明反応についての研究はあまり進んでいなかった。このために光合成の説明が暗反応に偏っていて、生化学的な電子のやり取りの連鎖になっている。ここからは光合成のダイナミックなエネルギー転換の本態は伝わってこない。

やはり光合成には生物物理学的な説明が必要なのだ。

それに比べると嫌気性代謝とTCAサイクルについては、すでに一応モデルが確定していたので、そのまま勉強になる。

変なもので、最新の知見ばかり集めていると、その元をなす理論の習得が意外とあやふやになっている。そのことに気付かされた。

あらためて、神川さんの本に沿って歴史をまとめてみたいと思う。

ただ神川さんの記述だけでは、細部の欠落がかなり大きい。そこはウィキなどを使って埋めていくことにする。


1876 パスツール、発酵過程を研究。アルコール発酵が酵母の働きによることを確認。「発酵は酸素のない状態での微生物の生活である」との結論に達する。

ただしアルコール発酵はやや特殊で、ピルビン酸から乳酸に向かわず、アセトアルデヒドを経由してエタノールになる。このとき付随的に炭酸ガスが発生する。

19世紀末 クロード・ベルナール、筋肉中にある「乳酸」の起源がグリコーゲンであることを示す

1910 アーチボルド・ヒル、光電管 用いた増幅器により、筋肉の発熱量を測定。

1914 ベルリンにカイザー・ヴィルヘルム生物学研究所が設立される。オットー・ワルブルグは終身研究員となり、細胞呼吸の研究を開始。鉄塩(ヘムタンパク)が細胞呼吸を促進することに気づく。その後の研究により呼吸酵素(チトクロームなど)の存在を予想。
ワルブルグは戦争中に軍歴を重ねていたが、父の友人アインシュタインが研究所に押し込んだといわれる。
1919 キール大学のオットー・マイヤーホフ、筋肉における乳酸代謝の研究を開始する。カエルの筋肉を酸素のない場所で収縮させ、グルコースの消失と乳酸の発生を観察。糖を分解する過程を「解糖」と名づける。

1922 ヒルとマイヤーホフがノーベル賞を受賞。筋収縮のエネルギーが解糖によって賄われていると提唱。「ヒル・マイヤーホフ反応」と呼ばれる。

解糖→エネルギー発生により、その代謝産物としてピルビン酸が発生。これは乳酸に変換され、その大部分はグリコーゲンに再合成される。

1925 ケイリン、好気性生物のヘム蛋白に酸化還元機能があることを発見。チトクロームと命名する。

チトクロームはヘム鉄(ポルフィリン鉄)を持つ複合タンパク質で、ヘム鉄が2価になったり3価になったりすることで電子伝達を行う。

1926 ハンス・クレブス、ベルリン王立生物学研究所に入り、ワルブルグの助手を務める。

1926 ハーバード大学のフィスケがネコの筋肉からクレアチンリン酸を分離。フィスケはさらにATPも発見したが,ローマンより発表が数か月遅れた。

1929 マイヤーホフ、ハイデルベルグのカイザー・ウィルヘルム生理学研究所所長に就任。

1929 デンマークのルンズゴール、マイヤーホフの乳酸ドグマを否定する実験結果を発表。

無酸素下でカエルの筋肉を連続収縮させたところ、70回にわたり収縮を繰り返した。この間乳酸の増加は起きなかった。(ルンズゴールの実験についての神川さんの説明は不正確である

1929 マイヤーホフ門下のローマン、乳酸発酵した筋肉の抽出液にリン酸化合物が存在することに注目、ATPを同定する。

アデノシンというのは、リボースという5単糖がアデニンという塩基に結合したもの。左腕でアデニンとつながり右腕でメチル基を介してリン酸塩とつながる構図だ。

リン酸塩が1つならAMP、2つならADP、3つならATPということになる。

ADP/ATPというのは充電型の乾電池のようなものだ。エネルギーを保存できる、持ち運べる、再利用できるという3つが特徴だ。しかも燃料効率がよい。

なぜこの分子構造なのかは、いづれまた勉強する。

1930 マイヤーホフらによるルンズゴールの追試では、筋収縮が起こらなくなったときにクレアチンリン酸含有量がゼロになった。そして乳酸が増加し始めた。

1930 マイヤーホフはルンズゴールの知見を承認。解糖系のあとに好気性呼吸の過程が続きATPやクレアチンリン酸が生成されるとし、自説を翻す。

1931 ロックフェラー財団の援助を得て細胞生理学研究所が完成。このときカイザー・ヴィルヘルムからマックス・プランク研究所へと改称。所長にワールブルグが就任。

1932 ワールブルグ、フラビン酵素(ビタミンB2)とニコチン酸アミドを相次いで発見。「呼吸鎖」の全容が次第に明らかになる。

ワールブルグは強力な人脈があったようで、ユダヤ人でありながらナチス政権下を敗戦まで生き抜いた。母はプロテスタント父は改宗ユダヤ人のためクォーターとして扱われた。

1933 ナチスが政権を握る。ユダヤ人迫害により多くの研究者が亡命。エムデンはヒトラー・ユーゲントの乱入で講義を妨害され、自宅に引きこもって失意のうちに病死。

1934 ローマン、クレアチンリン酸がATPのバックアップであると推定した。ミオシンにはクレアチンリン酸の受容体はないため、クレアチニンキナーゼの仲立ちによりリン酸をATPに渡し、ATPがミオシンを動かすという仕掛け。

1935頃? マイヤーホフ派の提唱により、解糖経路をエムデン・マイヤーホフ経路と呼ぶことが一般化する。
1937 イギリスに亡命したクレブス、ピルビン酸にオキザロ酢酸を加えるとクエン酸が生成されることを発見。TCA回路を提案。
それまでにコハク酸からオキザロ酢酸への変換、クエン酸からα-ケトグルタル酸への変換は確認されており、最後の橋がかかったことになる。ただしその機序は不明。

1938 マイヤーホフ、ドイツを離れパリに移る。40年にはさらにフランスからピレネー山脈を越えてスペインに逃れ、さらにアメリカに亡命。

1939 アメリカに亡命したリップマン、解糖経路とTCA回路の接続機序を研究。ピルビン酸の取り込みに無機リン酸の存在が必要なことを明らかにした。無機リン酸の存在下でCoAが産生され、これがピルビン酸と反応しアセチルCoAを経てクエン酸に至ることを立証。

1939 ソ連のエンゲルハルト、ミオシンがATPアーゼ作用をもっていることを証明。ミオシンがATPを介してのみ反応する理由が明らかになる。



ということで、エムデン・マイヤーホフの解糖経路もTCA回路も、それ自体は本質的な問題ではなく。生物の呼吸というのが、古細菌の嫌気性解糖経路を前提条件としてはじめて成立するという2階建て構造こそが重要なのだということだ。

まず嫌気的解糖を営む生物の存在があった。大量のピルビン酸が“排泄物”として積み上がった。

一方では藍藻が生み出す大量の酸素が海中に溶け出した。これも一種の排泄物であるが、こちらは細胞毒であるという由々しい問題をはらんでいた。

そこで、必要は発明の母ということで、酸素を用いてピルビン酸からエネルギーを取り出すというスカヴェンジャー生物、すなわちミトコンドリアが登場した。彼の持つ最大の武器がTCA回路だったわけである。

いわばATP産生装置という巨大蓄電池により水と酸化物と酸素の平衡関係を作り出す「大回路」が出来上がったことになる。

作業に実際取りかかると、神川さんの記述だけでは到底足りないことがわかった。ほとんど神川さんのオリジナルは消えている。
それにしても、この時期のドイツの有力な生化学者のほぼすべてがユダヤ人であったという事実には、ただただ驚嘆するほかない。

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